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●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その7 [「言葉」による革命]

●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その7

「試合は接戦でなければつまらない」という思い込みはスポーツを、そしてテニスを観戦する愉しみを局地的なものとしている。
そしてより根本的な話をすれば、「女子テニスは男子テニスと比べると、ぜんぜんおもしろくない」という考えがかなりあるが、それも「競技性」のみに注目するから生じているのである。
「美」の観点からスポーツを見れば、女子テニスほど魅惑的なスポーツは他にはまったくないことが理解できるだろう。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月16日 [愛の景色]

月の美のあなたと
わたしはいつも
徹底的に
話をする
どんな時でも

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●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その6 [「言葉」による革命]

●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その6

その試合後の「18秒間の抱擁とともに、世界中の多くのテニスファン、スポーツファンの心を揺さぶった2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズだけれど、試合が一方的な展開となり時間も短かったことで、「つまらない試合だった」という向きもある。
もちろん試合内容に対してどう楽しむかは個人の自由だけれど、「名勝負=接戦」だと思い込んでいるのなら、それはちょっと違うと思う。
「劇的大差」と表現すべき一方的展開の試合内容は、それが大舞台であればあるほど、「接戦」よりも強烈に心に刻まれる場合もあるのだ。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「日本映画に『サプライズ』のようないかした作品は生まれないのか?」。2017年9月16日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「日本映画に『サプライズ』のようないかした作品は生まれないのか?」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ホラー映画とかサスペンス映画とか、米国にも予算的にB級C級とカテゴライズされる作品も多いけれど、その中から驚くほどおもしろいものがしょっちゅう出てくる。
そうした楽しみがこのところの日本映画には希薄なのだ。
『劇場霊』や『リアル鬼ごっこ』のキツい仕上がりについては前に述べたけれど、演出、脚本、出演者・・・すべてに於いてうんざりさせられる作品が多過ぎる。
映像を一見しただけで質感がまったく違うのである。
『リアル鬼ごっこ』とか、まるでガチャポンをやらされているような作品だった。(わたしは園子温監督の支持者ですが)
例えばアダム・ウィンガード監督の『サプライズ』という映画がある。
原題は、『You're Next』。
脚本はサイモン・バレットという人だが、名の知れた俳優は一人も出てない。
ところが90分少々の上映時間、退屈するどころか時間の経過に連れてワクワクが増してくる。
『サプライズ』は、両親の結婚35周年祝いのために集まった家族10人を、動物のマスクをした侵入者たちが襲うという展開だが、侵入者が襲って来る以前から十分におもしろい。
無名の俳優たちだが脚本がよく、それぞれのキャラクターが生きている。
特に主演格のシャーニ・ヴィンソンエリンが「実は」ということが分かってからは目茶目茶おもしろくなる。
登場人物の会話がおもしろく、「殺され方」もそれぞれ工夫が凝らされており、演出には迫力がある。
多様な楽しみが詰まった一本になっている。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その6 [「言葉」による革命]

●2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズは短くても名勝負である~「女子テニス(WTA)放送をもっと増やそう運動」その6

その試合後の「18秒間の抱擁とともに、世界中の多くのテニスファン、スポーツファンの心を揺さぶった2017年全米オープンテニス女子決勝スローン・スティーブンスVSマディソン・キーズだけれど、試合が一方的な展開となり時間も短かったことで、「つまらない試合だった」という向きもある。
もちろん試合内容に対してどう楽しむかは個人の自由だけれど、「名勝負=接戦」だと思い込んでいるのなら、それはちょっと違うと思う。
「劇的大差」と表現すべき一方的展開の試合内容は、それが大舞台であればあるほど、「接戦」よりも強烈に心に刻まれる場合もあるのだ。

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●センダイガールズプロレスリング(仙女)の中一女子レスラー愛海は正当化されていいのか?あるいは「よき営業家」棚橋弘至とは? [「言葉」による革命]

●センダイガールズプロレスリング(仙女)の中一女子レスラー愛海は正当化されていいのか?あるいは「よき営業家」棚橋弘至とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

女子中学生、しかも1年生のプロレスラーが活動しているという。
センダイガールズプロレスリング(仙女)という団体の愛海(まなみ)という選手だというが、13歳である。

別に中1でデビューさせる必要は何もなく、正に「話題になれば何でも」という感じだ。
「プロレス界に負傷者続出」のテーマの時も書いたが、一般スポーツや一般芸能であれば大きな問題として俎上に載せられるような状況が生じても、プロレス界のことであればまず社会的問題として扱われない。
それだけプロレス界は「世間」から遠い場所へ来てしまっているのだなとあらためて感じる。
「中一女子プロレスラー」とは、これで同団体の観客動員が増えでもすれば、すぐさま他の団体も真似をしそうである。
まあインディ団体のことをどうこう言っても最早どうしようもない状況にはなっているが、かつてプロレスがサーカスの中の余興だった時代もあったわけで、このところのプロレス界を見ていると、その時代に再び戻っているような感がある。
昭和のプロレスファンが神経質なまでに施行した、「プロレス」の「プロであること」と「レスであること」など現在はまったく意味をなさず、まさしく「別の意味を持ったプロレス」ができてしまったかのようだ。
しかし考えてみたら、力道山時代から馬場・猪木時代までの日本のプロレスの社会的ポジションの高さは本場米国と比較しても極めて特殊だったのだろう。
当時のスポーツ系の娯楽は「野球・大相撲・プロレス」の3つくらいしかなくて、力道山、馬場、猪木の知名度、人気、著名人の中でのバリューなどは、俳優や歌手などと比べても、この3人を上回る人を探すのが難しいほどだったのではないか。
それと同じ時代を「もう一度」というわけにはいかないだろうが、現在「ブーム」だと言われている新日本プロレスにしても、もう少しやり様がありそうな気がする。
現在の新日本プロレスの人気回復に大きな貢献をしている棚橋弘至を見ていて感じるのは、「よき営業家」であっても、「素晴らしき闘争者」ではないということだ。
リアルファイトであるMMAも浸透し、猪木の時代とはまったく違っているのはよく分かるが、猪木の時代とは異なるコンセプトを持って魅力的な闘いに打って出ることはできるはずである。
そのヒントはいまだに心を振るわせる言葉である、「KING OF SPORTS」の中にありそうだ。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ピアノの音」篇。2017年9月16日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、ピアノの音」篇。

「猫、ピアノの音」

ああ、上原ひろみの
ピアノの音(ね)
綺麗だ
一音一音
煌めいている
まるでMは
垂線しそうだ

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは、
歩くだけで
ピアノを弾いているかのよう

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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