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●わたしが映画『ダンケルク』に前後して、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』と『大脱走』を観た理由は? [「言葉」による革命]

●わたしが映画『ダンケルク』に前後して、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』と『大脱走』を観た理由は?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

映画館で『ダンケルク』を鑑賞するのと前後して、家で『ヒトラー暗殺、13分の誤算』と『大脱走』を観た。
3本とも第2次世界大戦、ナチス・ドイツが大きなテーマの作品だ。
これは意図したわけではなくて、たままたま鑑賞順がそうなったのだが、ナチス・ドイツという題材はこの先も容易に尽きることはなさそうだ。
例えば同じ第2次世界大戦でも、ムッソリーニのファシスト党を主要なテーマとする映画はそうそう制作されない。
もちろんハリウッド映画の場合は、「どの程度米国を含む連合軍と戦ったか」によって、映画としてのストーリーが成立するか否かというポイントがあるのだから当然と言えるかもしれないが。


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月18日 [愛の景色]

これでもとても控え目に
褒めているのですよ

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ゲンズブール、gainsbourg aux armes et caeteraからヴァネッサ・パラディVanessa Paradis & Suzanne Vegaへ」。2017年9月18日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ゲンズブール、gainsbourg aux armes et caeteraからヴァネッサ・パラディVanessa Paradis & Suzanne Vegaへ」

末尾ルコ「音楽で知性と感性を鍛えるレッスン」

ご存知のように、YouTubeで何かを検索すると、その関連の動画がずらずら並んできて、中には(余計なお世話だ!)というものも多くあるけれど、音楽なんかはピーター・バラカンが言うように、「ネットが無ければ、一生合わなかったような映像を観られるようになった」だ。
これではCDやBVD、BDなどはなかなか売れなくなるはずだ。
わたしも原則は、「音楽はアルバム単位で聴くべきだ」だけれど、案外一枚のアルバムって、飽きるのが早かったりするのですね。
もちろん、「飽きた」と思っても、数年後にやたらと聴きたくなり、聴いてみると新たな興奮があったりと、そんなこともあるが。

11月のある晩、わたしはまず

「gainsbourg aux armes et caetera」

で検索し、「aux armes et caetera」というのはセルジュ・ゲンズブールがフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』をレゲエにアレンジして発表、その後フランス右翼の襲撃などを受けることにもなったスキャンダラスな歌だけれど、曲としてはやはりなかなかいいです。

で、関連検索でもちろん出る出る、

「Johnny Hallyday / Matthieu -M- Chedid - "Hey Joe"」とか

「Vanessa Paradis & Suzanne Vega - Blowin' In The Wind (Dec. 2007)」とか。

これらの歌、なかなかよかったので、後日また語らせていただこう。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●映画『ダンケルク』で、ほとんど「目」しか見えないトム・ハーディの「強さ」。 [「言葉」による革命]

●映画『ダンケルク』で、ほとんど「目」しか見えないトム・ハーディの「強さ」。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

この前、「トム・ハーディの「顔」が好きである。」というプチエッセイを書いたが、映画『ダンケルク』ではその顔はほとんど見えない。
スピットファイヤのパイロット役であるトム・ハーディは、その飛行中はゴーグル越しの「目」しか見えないわけである。
ところがと言うか、やはりと言うべきか、それは「やはり」で間違いないのだが、「目しか見えない」トム・ハーディもとてもいいのである。
鋭い、厳しい、頼もし気なトム・ハーディの「目」だ。


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●わたしの母も「プ女子」化か?「いつも通りの」内藤哲也VS棚橋弘至に熱狂する観客の心理とは? [「言葉」による革命]

●わたしの母も「プ女子」化か?「いつも通りの」内藤哲也VS棚橋弘至に熱狂する観客の心理とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

2017年1月4日東京ドームの内藤哲也VS棚橋弘至を今頃観たのも何だけれど、たまたま母親と一緒に観たので、その分とても考えさせられることになった。
と言うのも、内藤哲也VS棚橋弘至の試合中、母(いわゆる「後期高齢者」とされる年齢です)は目を皿のようにして観ながら、「こりゃあ、おもしろい。こりゃあ、おもしろい」を連発するのである。
母がこの二人の試合を初めて観たわけではない。
今までも何度となく観ていて、新日本プロレスのレスラーの中では二人とも気に入っている。
それにしても今回、実におもしろそうに観戦しているのを横で見ていて、(なるほど、こうしてプ女子が生まれるのか)とあらためて認識した次第なのだ。

では内藤哲也VS棚橋弘至の試合内容はどのようなものだったか。

ひとことで言えば、「いつもの新日本のビッグマッチ向けの試合」である。
試合開始時こそやや間を取った睨み合い、内藤哲也のタイミング外しなどが行われたが、その後は原則両者の矢継ぎ早の技の出し合いが繰り返される。
プロレスのクラシックな試合構築の一パターンである「一点集中」のシーンも見られるが、例えば相手の片脚に対しての「一点集中」も、かつてザ・デストロイヤーが執拗に行っていた地味ながらいかにも徐々にダメージが蓄積しているように観客に感じられるようなものではない。
「一点集中」の攻撃一つ一つ自体が派手目の「見せる技」になっており、「足首を捻じるだけ」とか「相手の大腿部に膝を落とすだけ」といったケースは極めて稀で、ホールド技にしても「複雑な形態を分かりやすく観客に見せるストレッチ技」となっている。

「より派手に、より分かりやすく見える化」・・・これがプ女子を含む平成プロレスファンにアピールする大きな要因であることは間違いない。

「より派手に、より分かりやすく見える化」・・・しかしこれはプロレスに限らず平成日本文化の多くの部分に見られる現象だ。
こうした要素にはいい面もあるのだろうけれど、悪い面もある。
ニュアンスの欠如、知性や感覚の鈍麻などが悪い面として挙げられるのであり、既に多くの日本人にその悪い影響は出ていると見られるけれど、この件は今後も深めていくとして、内藤哲也VS棚橋弘至の試合であるが、実に「いつも通りの展開」で、確かにわたしも観ていて飽きはしないのだけれど、特にワクワクもしない。
ましてや試合を観ながら熱狂をする由もないのだが、当日会場へ来ていた観客たちのほとんどはもちろん熱狂している。
いや、もちろんせっかく盛り返してきたプロレス人気に水を差そうなどという気は毛頭ないが、平成のプロレスファンたちはあの「いつも通りの展開」のプロレスにどのような心理状態で熱狂しているのか、その点には大いに興味を持っている。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、鳥」篇。2017年9月18日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、鳥」篇。

「猫、鳥」

ピピピピピと
鳥が鳴く
きっと回転しているのだ
あの青い鳥は

・・・・

どんなに極採食の鳥でも
ぼくの素敵なネコの
万華鏡のような魅力には
敵わないのさ

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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