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●あるいは、『大脱走』とは「どんな映画か」という問いかけに対する一つの答え。 [「言葉」による革命]

●あるいは、『大脱走』とは「どんな映画か」という問いかけに対する一つの答え。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

映画『大脱走』について、「どんな映画か?」と尋ねられた場合、あなたならどう答えるでしょうか?

「どんな映画?」という質問は多いですね。
多様な選択肢を常に用意しておきましょう。

例えば、

「『大脱走』って、どんな映画なんですか?」

わたしの「答えの一つ」は、

「おじさんたちが、狭いところでぎゅうぎゅう詰めになる映画」

はい。そうなんです。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年9月24日 [愛の景色]

あなたは
そこにいるだけで
いつでもわたしの
後押しをしてくれている

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「女子テニス フェド・カップ、近年の優勝国は?」 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「女子テニス フェド・カップ、近年の優勝国は?」

末尾ルコ「テニス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

2016年フェド・カップ決勝はチェコVSフランスだったわけだけれど、
あ、「フェド・カップ」とは女子テニスの国別対抗戦であり、男子の場合は「出ヴィス・カップ」である。
かつては「フェデレーション・カップ」と呼ばれていたが、現在は「フェド・カップ」という呼称になっている。
まあ、覚えやすい、言いやすい、ですわな。
このフェド・カップ、2004年から2015年までの優勝国を見ると、ロシア、イタリア、チェコの3か国だけである。
特にここ数年はチェコが強いが、例えば2016年のメンバーを見ても、カロリナ・プリスコバ、ペトラ・クビトバ、バルボラ・ストリコバなど、テニス中継でしょっちゅう見かける選手たちがズラリで、「そりゃあ、強いわな」である。
例えば日本男子だと、言うまでもなく、錦織圭一人が雲上人の如き高いランキングを維持しており、他の日本男子はだいたい90位から100以下であって、錦織圭一人がいかに頑張ってもこれではなかなか勝ち抜けない。
チェコ以外にも女子テニス世界ランキング上位が一定数いる国はスペインやルーマニアなどあるにはあるが、チェコの際立った強さはどうやら「テニスにおける団体対抗の勝ち方」を知っているからだろう。
そう言えばチェコのテニスは、テニスでもマルチナ・ナブラチロワ、ハナ・マンドリコワ、イワン・レンドルら、スポーツ史に残るような大スターを輩出している。

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●末尾ルコ詩「ある雲」 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩「ある雲」

末尾ルコ詩D

車の中に
雲が
入っていた
いつの間にか

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●バレーボール部所属期間が黒歴史の中学生プロレスラーであったわたしでも力を入れた無法ドッジボールとは。 [「言葉」による革命]

●バレーボール部所属期間が黒歴史の中学生プロレスラーであったわたしでも力を入れた無法ドッジボールとは。

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしが中学時代に「学校プロレス」を華々しく開催していた話はいつもさせていただいている。
「華々しく開催」か・・・ふふふ、言葉を盛っているぜ、おれって男は。
という一抹の侘しさはさて置いて、その当時は野球にもサッカーにもまったく興味はなかった。
中一の頃に数か月バレーボール部に所属していたけれど、それはクラスメートに誘われたからいい加減な気持ちで入っただけのことで、今では「誰がどう誘おうと、行きたくない場所・催しには行かない」を貫くわたしにも、「誘われて部活へ入る」なんて未熟な時代があったものなのだ。
しかし当然ながら、わたしがスポーツ部のノリと相性バッチリなわけはなく、先輩女子部員にウケがよかった以外は黒歴史となってしまったバレーボール部生活。
特に顧問の教師が阿呆で・・・という話は、今回はここまでにしておこう。

そんなわたしが、しかもプロレスで忙しかったそんなわたしが休み時間に参加した数少ないスポーツが一つある。

「ドッジボール」だ。

そう、ドッジボール。
当時のわたしは野球、サッカー、バスケなど、点取りスポーツにはまったく価値を見出せなくて、しかしドッジボールなら、

「強烈なボールで敵を粉砕する」と、

そう、プロレスや格闘技との共通点があるではないか・・・というのは今思いついた駄法螺だけれど、女子と金剛(ストロング)、いや、混合でできるのも魅力でしたな。
気に入った女子クラスメートを、「おれの後ろに隠れてな!」とばかりの勇士ぶりを披露したりして。
まあそんなシチュエーションはほとんど生じなかったのですけどね。

「スタイル」を重んじる私は、シャープな「横手投げ」、野球で言うところの「サイドスロー」に近いフォームで勝負していた。
そのフォームで投げると、オーバースローで投げる時の回転や軌道とは少し違うようになる場合が多く、敵を仕留める確率も高くなったものだ。
しかも実際よりもスピードがあるようにさえ見える。
実はさほどのスピードではなかったけれど、平気でラインを超えてボールを投げる無法なわたしのテクニックは、わたしをして、「強豪ドッジボーラ―」の名を欲しいままにさせていたのだと、自分では思っていた。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、感情」篇。2017年9月24日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、感情」篇。

「猫、感情」

エンリケ・グラナドスを聴きながら
ミリアム・シャト・シャルマンの
文脈を噛み締め乍ら
Mは自らの感情の
出どころを探っていた夜

・・・・・・

ぼくの感情の鍵は
いつも
ぼくの素敵なネコの
手の中に

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)