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●末尾ルコ詩D「驚愕するマイメロ(的存在)」。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ詩D「驚愕するマイメロ(的存在)」。

驚愕するマイメロ(的存在)
驚愕するヘンなぼっちゃん
驚愕するはちきん
しかもすべて丸顔で

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年10月19日 [愛の景色]

「愛の意味」のすべてを
あなたのために

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「『ディバイナー 戦禍に光を求めて』のオルガ・キュリレンコ、『親指の標本』の絶妙なエロティシズム」。2017年10月30日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「『ディバイナー 戦禍に光を求めて』のオルガ・キュリレンコ、『親指の標本』の絶妙なエロティシズム」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ラッセル・クロウ初監督映画『ディバイナー 戦禍に光を求めて』のヒロイン的出演がオルガ・キュリレンコで、前回も書いたようにオルガ・キュリレンコは映画『親指の標本』を観た時からゆるやかにファンである。
『親指の標本』はフランス映画だけれど、小川洋子が原作で、とても濃密なエロティシズムに満ちた作品となっている。
日本人作家の小説がこうしてフランスで見事に映画化されるという時点で、「日本映画、何をやっておるか!」という話になるけれど、真っ当な映画を作る力の点でフランスと日本では格段の差ができてしまったのだから今やどうしようもない。
映画『親指の標本』であるが、このエロティシズムが絶妙にして玄妙で、「フランス的であって日本的」。
要するに、小川洋子の原作を得て、フランス映画史上でも類のないエロティシズム作品として完成されているのだ。
この点についてはまた機会を改めてお話したい。

ところでオルガ・キュリレンコは『親指の標本』後、ハリウッド映画を含めて国際的に大活躍しているが、『007 慰めの報酬』では今一つだったものの、ぜひ鑑賞していただきたいのが『故郷よ』で、キュリレンコの故郷であるウクライナに対する大きな思いに満ちた作品となっている。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「アンチエイジング?違う!人類の宝イザベル・ユペールの若さはその精神にある!」。2017年10月19日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「アンチエイジング?違う!人類の宝イザベル・ユペールの若さはその精神にある!」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

60歳を超えたイザベル・ユペールはとても若く見える。
が、それをして「アンチエイジング」などという世間的なレベルに貶めてはならない。
そもそもイザベル・ユペールは、近寄ればかなりの皺がある。
それを隠そうともしていない。
イザベル・ユペールが若く見える理由はいくつかある。
60歳を超えて、やや遠目にすれば少女のような佇まいなのは、まったく変わらぬその体形と顔の輪郭に起因する。
いかにも軽々としたその体形は、考えてみれば若き日からフランス人としてはやや小柄で特にグラマラスでもなかったプロポーションが結果的によき方向へ進んだとも言える。
しかし何よりもその精神。
多くの偉大な映画監督のミューズとして長年に渡って君臨してきた理由はもちろん女優としての圧倒的な実力がベースとしてあるけれど、何よりもその

「冒険を怖れぬ強靭な精神」

にある。

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●かつて「ヨーロッパ最高の俳優」と言われたマルチェロ・マストロヤンニの『ひまわり』。 [「言葉」による革命]

●かつて「ヨーロッパ最高の俳優」と言われたマルチェロ・マストロヤンニの『ひまわり』。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ジャン・ルイ・トランティニャンが癌に罹患しているという話をした。
マルチェロ・マストロヤンニはもうずっと前に死んでいる。
かつて「ヨーロッパ最高の俳優」とも評価されたマルチェロ・マストロヤンニは。
しかしマルチェロ・マストロヤンニは、今でも映画の中にいる。
かつてヨーロッパ最高級のエレガンスを湛えていた一人の男、一人の俳優の姿を、映画の中でいつでも観ることができる。

もちろん「マストロヤンニを知らない人」には、『ひまわり』を薦めるべきだろう。

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●ハリウッドプロデューサー ハービー・ワインスティーンの「セクハラ」問題と日常の中の「セクハラ」問題、そしてフェミニズム。 [「言葉」による革命]

●ハリウッドプロデューサー ハービー・ワインスティーンの「セクハラ」問題と日常の中の「セクハラ」問題、そしてフェミニズム。

末尾ルコ「社会問題の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

日本ではさほど報道されていないけれど、欧米で話題持ちきりだったのが、「超大物ハリウッドプロデューサー、長年に渡り有名女優らにセクハラ」というニュースだ。
このプロデューサーの名は、ハービー・ワインスティーン(65)であって、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは既に除名を決定し、映画界からは実質上追放された形になっている。
しかしエマ・トンプソンがこの件を「氷山の一角」と語っているように、ハリウッドにおけるセクハラやそれに類する行為は海底の山脈のように存在しながらも、まだまだ表沙汰になってないものだと思われる。
さらに言えば、このような問題がハリウッドのみであるはずはなく、ある意味、「世界で最も目立つ世界」であるハリウッドだからこそこれだけ世界的な騒ぎになっているのであるけれど世界中津々浦々にまでまだまだ「愚劣な男たちに人間性を傷つけられながらも泣き寝入りせざるを得ない女性たち」が無数にいるわけである。
このようなことを書くと、「男が女にセクハラを受けることもあるじゃないか」と言い出す人もいるわけだけだが、セクハラないし性犯罪において、女性が男性の被害者となる場合が圧倒的に多いという事実があるわけだから、問題の中心が「女性が被害者になった場合」であるのは当然だろう。

ハービー・ワインスティーンが行ったセクハラには、「性行為を強要」なども含まれている。

『BBC NEWS JAPAN』によれば、

アンジェリーナ・ジョリーは、

〈映画「マイ・ハート・マイ・ラブ」公開の際にホテルで関係を迫られ拒否した〉

グイネス・パルトロウ

〈映画「エマ」の主役に選ばれた後、ホテルの部屋に呼ばれ、体を触られ、寝室でマッサージしてもらいたいと迫られた〉

他にも多くの「被害の声」が発せられているが、日本社会にも間違いなく無数の「泣き寝入りせざるを得ない被害者」が存在しているはずだ。

「性行為の強要」などまでに至らなくても、「言葉によるセクハラ」も、特に地方社会では「当然のこと」のように日常的だ。
「言葉による」ものは、「どこからセクハラか」という難しい問題があるし、「同じ言葉」であっても、「人によって感じ方が違う」ことも事実である。
しかし「人によって感じ方が違う」ことに甘えられる時代では最早ないというのがわたしの考えだが、しかしここにも大きな問題があり、ことは単純ではない。

例えば極端なフェミニズム思想においては、「女性を性の対象として見る」こと自体を「セクハラ」ないし「犯罪的」と断ずることがあるけれど、男女が互いを多かれ少なかれ「性の対象」として見るのは人間として当然のことであり、その「発現」にどのようなブレーキをかけるかの塩梅が難しいのである。
あるいは、女性の服飾史のほとんどを、「男に奉仕するために強制されたもの」とか言い出すと、そりゃあ一般女性にさえまずは支持されないよという世界である。

この問題を短い文章で語りつくせるわけもないのでひとまずここまでにするが、ハービー・ワインスティーンのようなケースはもちろん厳しく断罪すべきであり、日々の生活の中、「言葉のセクハラ」であっても心から苦しんでいる女性(時に男性)たちが周囲に存在すれば、その「苦しみ」から脱することができるような方法を考え、実行していくべきである。(その具体的方法については、また適宜提起していきます)


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、サラサーテ」篇。2017年10月19日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、サラサーテ」篇。

「猫、サラサーテ」

てなわけで
12月のある晩から朝にかけて
「サラサーテの盤」を
じっくり読んだ
一気に読める量だけど
じっくり読んだ
そんな意識的な読み方も
意義あることさ

・・・・・・

ぼくの素敵なネコが
動いても
動かなくても
動いても
そこに奏でられる
妙なる旋律

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)


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