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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「言葉」と「会話」の根源は、「心」でなければならない。2017年10月22日 [「言葉」による革命]

※2017年11月4日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「言葉」と「会話」の根源は、「心」でなければならない。

書店へ行けば、様々な「言葉」に関する本が並べられています。

「大人の語彙力」だとか
「凄い会話」だとか
「雑談の達人」だとか、

まあ、いろいろ出ていますね。
それだけ「言葉の問題」で悩んでいる人が日本には多くいるのは間違いないですが、当然ながら、「一冊(あるいは数冊)の本」を読んでずぐ解決する問題ではありません。
もちろんそうした本の中には役に立つ部分も少なからずあります。
けれど、絶対に「それらだけ」では「言葉に関する本質的向上」はないでしょう。
〈「言葉」による革命〉は、いつも当メルマガを購読してくださり、わたしのメインブログへ来てくださる方ならお分かりでしょうが、

「言葉に関する本質的向上」を志すものです。

決して小手先の語彙や会話術ではないのです。

そして必ず理解していただきたいのは、

「言葉」と「会話」の根源は、「心」でなければならない。

ということ。

(続きは、有料メルマガでお願いします)


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「『ユリゴコロ』吉高由里子、やはり『蛇にピアス』は特別だった」。2017年10月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「『ユリゴコロ』吉高由里子、やはり『蛇にピアス』は特別だった」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

映画に戻ってくる(はず)の吉高由里子。
吉高由里子を一躍寵児とした映画『蛇にピアス』を監督した蜷川幸雄はもうおらず、しかし『蛇にピアス』をあらためて考えてみると、いろんな意味で「なかなかない日本映画」だった。
これから売り出そうという若手女優が演じる役としてはとてつもなくハードだ。
まず、「脱ぐ」。
映画上のフェイクとはいえ、身体に大きなタトゥを施す。
舌にピアスを付け、スプリットタン(蛇のように先が分かれた舌)となる。
もちろん原作者の金原ひとみは敢えてこうした世界を、「現代の日本」を描くために取り上げたわけだが、しかしそれが本当に「現代の日本」かと言えば疑問はある。
文学にせよ映画にせよ、「極端」を描かねば目を引かないというのはある。

吉高由里子はその後見る見るメジャーな女優になっていくのだが、有名な話で以前のマネージャーが実にやり手だったというのはけっこうだけど、結果的に『蛇にピアス』後の吉高由里子を枠に嵌める役割も果たした。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●スキタイの黄金装飾品あるいは『物語 ウクライナの歴史』。 [「言葉」による革命]

●スキタイの黄金装飾品あるいは『物語 ウクライナの歴史』。

末尾ルコ「読書と歴史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『物語 ウクライナの歴史』(黒川祐次著・中公新書)はスキタイの興亡から始まる。スキタイは匈奴と同一の民族であるともされるが、その黄金を重用した装飾品の美しさ、レベルの高さがスキタイに対する興味を大きく引き上げる。
ウクライナと匈奴がイメージの中で繋がることは余程彼の地の歴史に詳しくない限り、まずあり得ない。
そしてウクライナと言えば、ヴァツラフ・ニジンスキーからスヴェトラーナ・ザハロワまで、バレエ史に大書されるダンサーを輩出した地域として、バレエを愛するファンには馴染み深い国でもある。
映画『ひまわり』でひまわりの咲き誇る余りに高名なシーンもウクライナ地域で撮影されている。
かつて「総合格闘技史上最強」の名をほしいままにしたエメリヤーエンコ・ヒョードルもウクライナの出身であることを付け加えておいてもいい。

タグ:アート
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●わたしに「不幸を実現した」幸福実現党のエル・カンターレ的選挙カーと見事な「藤波辰爾(辰巳)VS剛竜馬」のお話。 [「言葉」による革命]

●わたしに「不幸を実現した」幸福実現党のエル・カンターレ的選挙カーと見事な「藤波辰爾(辰巳)VS剛竜馬」のお話。

末尾ルコ「日常生活とプロレスと音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

10月18日に、「咳」「左ふくらはぎの攣り」「鼻の頭などの痒み」によって仮眠の時間を奪われたお話は既にさせていただいた。
翌19日、またもやわたしは仮眠に臨む。
前日の出来事に挫けることなく。
人間、諦めたら終わりなのだ。
と言うわけで、『物語 ウクライナの歴史』を読みながらわたしはいいこんころもちでその時間こそ眠りに入った。
だが1分も経つか経たないかの内に恐るべき事態が生じたのだ。

「皆様、幸福実現党でございますう~~」

とまあ、この台詞が正確かどうかは半分眠っていたから保証の限りではないが、幸福実現党の選挙カーだったことに間違いはない。
もちろん心地よくスキタイの黄金のヴィジョンと共に夢か現の世界を経巡りつつあったわたしの睡眠は中断された。
(エル・カンターレの野郎・・・何が「幸福実現」だ。今現に、「不幸を実現したじゃねえか!」と大きな怒りに見舞われたわたしの気持ちにシンパシーを感じる方も多かろう。
もっとも前日と異なり、その後どうにか1時間半ほど眠ることができたわたしです(山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。

そう言えばわたしはその前の晩に、『ポッペアの戴冠』の「Pur ti miro, pur ti godo」のいくつかのヴァージョンに聴き惚れたのだった。
いや、モンテヴェルデ・・・美しい。

その後「藤波辰爾(辰巳)VS剛竜馬」を観たのだが、これがまたおもしろいんだ。
まず一つ、ジュニア時代の藤波はやはりいい。
技の一つ一つが鋭く切れるし、試合運び全体も尖っている。
そして現在の新日本プロレスマットのKUSHIDAらジュニアの試合との大きな違いは、場面場面の力の入れ方、そして小技から大技まで、それらはもちろん「プロレスの範疇」ではあるのだけれど、「戦っているように見える」のである。
もちろん図らずとも陰性の情念が発露される剛竜馬との対照も素晴らしい。

しかしこの素晴らしい「藤波辰爾(辰巳)VS剛竜馬」を観ながらも、またいろいろとテーマが浮かんできたことも書いておかねばなるまい。
どのようなことでも「疑問」に突き当たったらそれを「テーマ」として思考を深める。
人生そのものを深める一つの有力な方法である。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、ウォレス」篇。2017年10月22日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、ウォレス」篇。

「猫、ウォレス」

デヴィッド・フォスター・ウォレス
デヴィッド・フォスター・ウォレス
デヴィッド・フォスター・ウォレス
3度唱えてみた
呪文の如きに

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは
最高の呪文でもある!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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