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●11月10日は、「山田姉妹の日」か?『ごごウタ』と『由紀さおりの素敵な音楽館』に出演! [「言葉」による革命]

●11月10日は、「山田姉妹の日」か?『ごごウタ』と『由紀さおりの素敵な音楽館』に出演!

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

さて、今週は嬉しいことに、麗しき山田姉妹出演番組が2つある。
どちらも11月10日金曜日であり、その日を「山田姉妹の日」と名付けるにやぶさかではないわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。

さて、その番組とは・・・って、タイトルに入れているのでもうお分かりかと思うけれど、


NHK『ごごウタ』

BS-TBS 『由紀さおりの素敵な音楽館』

である。

そして次のリンクが10月26日にアップされた山田姉妹オフィシャルブログの記事である。

https://ameblo.jp/karei1224/entry-12323040682.html

まだ、まるで一般のユーザーが作ったブログのようなデザインが初々しい山田姉妹のオフィシャルブログをよろしくです。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年11月6日 [愛の景色]

あなたのおかげで
ハロウィンにも
愛を感じた

凄いことだ

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「衣笠貞之助、山本富士子、市川雷蔵が織り上げる泉鏡花の世界、『歌行燈』」。2017年11月6日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「衣笠貞之助、山本富士子、市川雷蔵が織り上げる泉鏡花の世界、『歌行燈』」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

例えば衣笠貞之助監督の『歌行燈』などを鑑賞していると、このような世界がしっかり描かれた日本映画など未来永劫作られないのではないかと不安に駆られる。
濃厚で妖しい泉鏡花の世界。
時代性もセットやロケ、衣装や言葉遣いを含めてより的確に醸し出さねばならない。
そして出演俳優たちは、もちろん鑑賞者に泉鏡花の世界へとどっぷり浸らせる雰囲気を遺憾なく創り上げる細胞にならねばならない。
例えば『隠し砦の三悪人』の無残なリメイクを見ても分かるように、今の日本映画界に「美しい時代劇」を創り出す才能がほとんどいないことは明らかだ。
しかしそもそも、「泉鏡花」を愛する日本人がこれからどれだけ生まれるか、育てられるか。
もちろんいつだって「文芸復興」は起こり得るから決して諦めてはならないが。

ともあれ、山本富士子と市川雷蔵の『歌行燈』。
この二人の映画スターを観る、脇を固める堅牢な俳優たちを観る、「泉鏡花」の、そして時代の雰囲気と人間たちを描写した衣笠貞之助の手並みを観る。
すべての年代の人に一度は鑑賞していただきたい『歌行燈』である。


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●『ブレードランナー2049』を支配するのは、「実存主義」と「不条理」なのか? [「言葉」による革命]

●『ブレードランナー2049』を支配するのは、「実存主義」と「不条理」なのか?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ブレードランナー2049』は、サイバーパンク的快感を期待したらやや外される。リドリー・スコットが35年前に描いた絶望的な未来社会はもちろんのこと随所に観ることができて感激するのだが、それ以上に『ブレードランナー2049』を支配しているのはもう最近ではほとんど使われることの無くなった言葉、「実存主義的」あるいは「不条理感」だ。

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●ケニー・オメガVSジュース・ロビンソンが「ホモ的」に見えて、ビリー・クリスタルの『ソープ』とLGBTについて、小さな思考を凝らしてみる。 [「言葉」による革命]

●ケニー・オメガVSジュース・ロビンソンが「ホモ的」に見えて、ビリー・クリスタルの『ソープ』とLGBTについて、小さな思考を凝らしてみる。

末尾ルコ「プロレスと社会問題の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

今日び、あまりヘンな書き方をしてはいけないが、ケニー・オメガVSジュース・ロビンソンの試合を観ていて、「マッスルな男同士の愛の戯れ」に見えたのはわたしだけか?

わたし自身は完全にストレートで、女性に対してしか恋愛感情ないし情愛感情を抱くことはないが、人生を通して多様な芸術を愉しんでいる人間として、LGBT(性的マイノリティ)の方々に対する偏見は、若い頃から無いつもりである。
なぜならば映画界だけを取ってみても、ルキノ・ヴィスコンテ監督がゲイであるとか、淀川長治がゲイであるとか、そのような話は普通に出てくるし、大人になってからだが、ゲイの方たちを知り合うことも少なからずある。
ただ、わたし自身がゲイではない以上、本当にそうした人たちの苦悩を理解できるかと問われれば、それはなかなか難しい。

冒頭に挙げた、ケニー・オメガVSジュース・ロビンソンを観ていても、どちらのレスラーも均整の取れたマッスル体形に仕上げ、ヘアスタイルや髭の剃り方、リングコスチュームも過剰なまでに「お洒落風」であり、こんな二人が完璧に息の合ったコンビネーションで複雑な技を掛けたり、掛けられたり・・・そしてこうした観方をすべきでないのは重々承知だが、試合展開の中で、「相手の股間に首を突っ込む」とか「相手の脚を自分の股間にぎゅうぎゅう圧しつける」とか、そんなシーンを目撃したら、ついつい口元が緩んでしまうのである。

思えばプロレスに限らず、映画、テレビドラマ、小説などでも、昔から「ホモネタ」のシーンはおもしろいものが多く、例えばかつて日本のテレビで米国の『ソープ』というコメディドラマを放送していたのだが、映画スターになる前のビリー・クリスタルが「ホモ」の役で出演していた。
『ソープ』でこのビリー・クリスタルが登場するだけでおもしろく、それはビリー・クリスタルの圧倒的魅力とスキルあってのことなのだが、その優雅な微笑を含んだ口元や意味ありげな視線、女優たちよりもずっと「女性」を感じさせる物腰など、大いに笑わせてもらった。
しかしもちろんこのような俳優のキャラクターが人気を博することで傷ついていたゲイの人もいるだろうし、かと言って、「ホモネタ、タブー」はあまりに狭量だろう。

この問題を短い一記事で何らかの結論に持って行こうとは思わない。
が、「表現の自由」以前に、「感じ方の自由」という問題がここには含まれており、今後も思考を続けていきたい。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、あぞうの」篇。2017年11月6日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、あぞうの」篇。

「猫、あぞうの」

あぞうのは
薊の野である
薊の野は間違いなく
美しい
あぞうのは
誰も拒まない
しかし薊は美しく
棘さえもある
だから
あぞうのは
強くなる

・・・・・・

あぞうのっていいよね、
ぼくの素敵なネコ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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