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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●あなたが昨日味わった「人生の歓び」を10以上挙げてみましょう。2017年11月30日 [「言葉」による革命]

※2017年12月8日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~あなたが昨日味わった「人生の歓び」を10以上挙げてみましょう。

「歓び」を感じるのは、「心」です。

「あなたの歓び」を感じるのは、「あなたの心」です。

「あなたの心」が「あなたの歓び」を感じさえすれば、

「そこに歓びは存在する」のです。

だと言うのに、すぐに「死にたい」などと考える人がいます。

「死にたい」を単純化してはいけないけれど、それは「人生に喜びを見出せない」とかなりイコールに近いでしょう。

では、

「あなたが昨日味わった「人生の歓び」を10以上挙げてみましょう。」

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年11月30日 [愛の景色]

ぜひ、そのうち
トマトスープを
あなたと一緒に

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「2016年、二度の捻挫と一度のとんでもない風邪に見舞われた末尾ルコが2017年早々おできに見舞われ、ついに雄々しく決意!」その1。2017年11月30日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「2016年、二度の捻挫と一度のとんでもない風邪に見舞われた末尾ルコが2017年早々おできに見舞われ、ついに雄々しく決意!」その1

末尾ルコ「生活医学で人生を生き抜くレッスン」。

身体を鍛え直すべきである。
2016年は2度の捻挫と一度の「とんでもない風邪」という憂き目に遭った末尾ルコ、
そのくらいやればもう上等だ打ち止めだ、2017年はそうはならないぞと、2016年の時点では(そうだ、それに間違いなしだ!)と決め付けていた末尾ルコだが、2017年早々、三が日こそすっきり過ごせたけれど、5日くらいからおできに見舞われ、まあ兆候はそれ以前からあったから、「おできが悪化した」と言った方が正しいのだろうけど、まあおできなんてものは悪化するまでは甘く見てしまうものなんですね。
悪化してしまえば衣類が擦れるだけで激痛が走る、土方歳三の拷問もかくやというような激痛が。
前回「より悪化したのは傷口にオロナイン軟膏をたっぷり塗ったからかも」という意味のことを書いたが、それはいまだに「そうかもしれないし、違うかもしれない」であって、大袈裟に言えば、「医療結果」とはいつでもそのようなものなのだ。
で、実はさらに悪化し、かなり広い範囲にまで腫れが及び、1月9日の朝などはもう耐え難いほどになってしまった激痛を伴うおできだけれど、その晩には大爆発しました。
わたしの人生の中、見たことのない大爆発ぶりだったけれど、取り敢えず「出るべきものが出た」らすっきりはした。
痛みはその時点で大きく軽減されたのですな。(つづく)

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●ケイト・ベッキンセイル『フォービドゥン/呪縛館』は、評価・興行収入とも最悪に近くても、わたしは楽しく鑑賞した。その1. [「言葉」による革命]

●ケイト・ベッキンセイル『フォービドゥン/呪縛館』は、評価・興行収入とも最悪に近くても、わたしは楽しく鑑賞した。その1.

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『フォービドゥン/呪縛館』の原題は「The Disappointments Room」であり、「呪縛館」的なネーミングは近年のホラー映画邦題の流行りだから分かるとしても、「フォービドゥン」って何なんだ・・・とタイトルを決める会議(?)の様子を想像すると楽しくなりはする。

主演のケイト・ベッキンセイルは、『アンダーワールド』シリーズのヴァンパイア セリーん役が最高で、しかし同シリーズ以外でもサスペンス映画などで小粒ながら楽しませてくれる作品が少なくない。
で、この『フォービドゥン/呪縛館』もその一本なのだが、批評や興行成績が最悪に近いのがまた笑わせてくれるのだ。

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●1986年、日本の「メディア」は、満18歳の岡田有希子の遺体を「曝す」という醜悪な「倫理」を見せつけていた。 [「言葉」による革命]

●1986年、日本の「メディア」は、満18歳の岡田有希子の遺体を「曝す」という醜悪な「倫理」を見せつけていた。

末尾ルコ「生と死、そして日本現代史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「自殺」に関する話題は最高度にセンシティブなものの一つである。
軽々に扱うものではないが、もちろんわたしは軽々に扱っているつもりはない。
そしてこれからの日本人、「自殺」に関してだけでなく、「生と死」についても日常的に深く思考しながら人生を送るべきだと強く信じている。
一つシンプルな例を出せば、人生において「生と死」を普段ほとんど意識してない人たちほど、怪しげな宗教や商法に引っ掛かるものなのだ。

戦後日本で生じた著名人の自殺で最も衝撃的だったものが、1970年、市ヶ谷駐屯地における三島由紀夫の割腹自決だったことに異を唱える者は、恐らくこの事件を知らない人間だけだろう。
しかし無数の学者、批評家、そして芸術家、ジャーナリストらにいまだ語り続けられている三島事件についてこの記事で何か語ろうとは思わない。
ただ、1970年はわたしも既に生まれており、幼少ではあるけれど、「三島恰幅」の時期に家庭内が色めき立っていた記憶はない。
あまりにショッキングな事件、「子どもには隠しておこう」という配慮が働いたのだろうか。

この三島事件とは比較しようもないし、「一人の人間の生や死」に軽重を付けるつもりもないが、1980年以降に生じた著名人の自殺としては、1986年の岡田有希子の事件が最もショッキングなものの一つではないか。
わたしは岡田有希子に対して特段の関心は持ってなかったが、同年に発表された「くちびるNetwork」で、凡百のアイドルから数歩抜け出た印象を持っていた。
「くちびるNetwork」という楽曲のよさもあったが、歌唱する岡田有希子に色濃いオーラを感じるようになっていたのだ。
その矢先の飛び降り自殺で、当時付き合っていたとされる俳優峰岸徹との関係も取り沙汰されたが、何よりも驚いたのは、路上で遺体となってしまった岡田有希子の写真が雑誌にでかでかと掲載され、普通に書店などで販売されているではないか。
遺体に対するカメラマンの冒涜的な所業の噂も一部メディアでは伝えられた。
もちろんわたしはそうした報道が事実だったかどうかは知らない。
が、少なくとも1986年の時点で日本の商業ジャーナリズムは、満18歳の女性のむごたらしい遺体を全国民に「曝す」という所業を行うようになっていたのだ。

ところで、実はこの自殺の数日前(だったと思うが、2日前とか、要するにかなり近い日)に岡田有希子が歌番組へ出演して歌っている姿を見たのだが、これは決して後づけなどでなく、異種異様な雰囲気を感じた。
それはひょっとしたら既に自殺を決意していた女性が歌っている姿だったのかもしれないと、今でも思っている。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、価値」篇。2017年11月30日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、価値」篇。

「猫、価値」

「痛み」とは何なのだ
「痛み」とは少なくとも
警報ではあるのか
「痛み」が福音などと
「痛み」の真っ最中に信ずるほど
止まってはないが
自らの「痛み」にさえ
何らかの価値が付けられれば
それはそれで意義がある

・・・・・・

ぼくの価値の根源は
ぼくの素敵なネコにある!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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