「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●いつでも、どこにでも存在する「人生の歓び」を見つける方法とは?2017年12月2日 [「言葉」による革命]
※2017年12月11日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~いつでも、どこにでも存在する「人生の歓び」を見つける方法とは?
12月8日配信予定のメルマガで、
11月23日にわたしが感じた「歓び」を「10」挙げてみました。
わたし、はっきり申しまして、「日々の歓び」、「10」なんてものじゃなく、いくらでも挙げることができます。
もちろんわたし自身は、「いつでも機嫌がいい極楽とんぼ」ではありませんよ。
「機嫌の悪い時間」もいくらでもあるし、怒りが爆発しそうになることもよくあります。別に「仏(ほとけ)さん」のイメージのように、いつも穏やかでいたいとかは思ってないのですね。
多かれ少なかれ、「喜怒哀楽」の人間的な感情は持っていたいと考えております。
ただ、そのバランスですね。
そして自分の感情の動きを客観的に把握し、ある程度以上の自覚的コントロールをしていきたいというわけです。
「感情の動き」の波にいつも呑まれているようでは毎日苦しいことが多くなりますからね。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~いつでも、どこにでも存在する「人生の歓び」を見つける方法とは?
12月8日配信予定のメルマガで、
11月23日にわたしが感じた「歓び」を「10」挙げてみました。
わたし、はっきり申しまして、「日々の歓び」、「10」なんてものじゃなく、いくらでも挙げることができます。
もちろんわたし自身は、「いつでも機嫌がいい極楽とんぼ」ではありませんよ。
「機嫌の悪い時間」もいくらでもあるし、怒りが爆発しそうになることもよくあります。別に「仏(ほとけ)さん」のイメージのように、いつも穏やかでいたいとかは思ってないのですね。
多かれ少なかれ、「喜怒哀楽」の人間的な感情は持っていたいと考えております。
ただ、そのバランスですね。
そして自分の感情の動きを客観的に把握し、ある程度以上の自覚的コントロールをしていきたいというわけです。
「感情の動き」の波にいつも呑まれているようでは毎日苦しいことが多くなりますからね。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「個人的おでき治療法と回復に関する覚書」。2017年12月2日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「個人的おでき治療法と回復に関する覚書」。
末尾ルコ「生活医学で人生を生き抜くレッスン」
2017年早々にわたしが苦しめられたおできについて、「治癒」と言っていいのかどうかは分からないけれど、「おできが割けて痛みがグッと軽減する」までに至る過程をまとめておきます。
ところで日記とかノートとかメモとかとってますか?
わたしは常に数種類のノートやメモ帳類を携帯しており、思い付いたこと、その日印象に残ってことなどをぱぱっと書き込んでいます。
見返すといろいろ役に立ちます。
「おでき」の件でも早速役に立ちました。
わたしの記憶ではおできが酷く痛み始めたのは1月5日くらいだったんですが、ノートを見返すと、3日に既に痛みについて書いています。
つまり大雑把に経過を振り返ると、
1月3日(火)強い痛み始まる。
1月5日(木)オロナイン軟膏塗布開始?
1月6日(金)腫れが広がり、痛みも強まる。
1月8日(日)夕方、やや軽減したかに感じる。しかし夜になって悪化した感覚。
1月9日(月)朝、痛み・苦痛最悪。
夜に破裂・・・一気に痛みは軽くなる。
「オロナイン軟膏がおでき状態を悪化させた可能性」についても書いていますが、もちろん本当に何らかの影響があったかどうかは分かりません。
オロナイン軟膏を塗らなくても同様だったかもしれないし、塗ったことで「いい効果」があっていた可能性もゼロではない。
大袈裟な言い方をすれば、
「医療効果を正確に知ることは不可能に近い」のです。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「生活医学で人生を生き抜くレッスン」
2017年早々にわたしが苦しめられたおできについて、「治癒」と言っていいのかどうかは分からないけれど、「おできが割けて痛みがグッと軽減する」までに至る過程をまとめておきます。
ところで日記とかノートとかメモとかとってますか?
わたしは常に数種類のノートやメモ帳類を携帯しており、思い付いたこと、その日印象に残ってことなどをぱぱっと書き込んでいます。
見返すといろいろ役に立ちます。
「おでき」の件でも早速役に立ちました。
わたしの記憶ではおできが酷く痛み始めたのは1月5日くらいだったんですが、ノートを見返すと、3日に既に痛みについて書いています。
つまり大雑把に経過を振り返ると、
1月3日(火)強い痛み始まる。
1月5日(木)オロナイン軟膏塗布開始?
1月6日(金)腫れが広がり、痛みも強まる。
1月8日(日)夕方、やや軽減したかに感じる。しかし夜になって悪化した感覚。
1月9日(月)朝、痛み・苦痛最悪。
夜に破裂・・・一気に痛みは軽くなる。
「オロナイン軟膏がおでき状態を悪化させた可能性」についても書いていますが、もちろん本当に何らかの影響があったかどうかは分かりません。
オロナイン軟膏を塗らなくても同様だったかもしれないし、塗ったことで「いい効果」があっていた可能性もゼロではない。
大袈裟な言い方をすれば、
「医療効果を正確に知ることは不可能に近い」のです。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●LPレコードはなかなか割れなかったことはさて置いて、『村松友視のプロレス塾』における村松友視の「ドリー・ファンク・ジュニア感」。 [「言葉」による革命]
●LPレコードはなかなか割れなかったことはさて置いて、『村松友視のプロレス塾』における村松友視の「ドリー・ファンク・ジュニア感」。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
『村松友視のプロレス塾』を読むと、村松友視の心の中のドリー・ファンク・ジュニアがいかに高級だったかがよく分かり、それほどまでに「高級」だと信じていたドリー・ファンク・ジュニアがどんどん安くなっていく現実を前にしてとてもとても受け入れ難く、けれそ結局は受け入れざるを得ないこと間違いなしの近い将来が待っていること必定で、村松友視のブロークン・ハートを慮(おもんばか)ると(可哀想じゃあああああああ)とわたしの心が掻き乱されることはない。
それにしてもなぜ今、『村松友視のプロレス塾』なのかと言えば、BOOK OFFで文庫版を108円で売っているのを見かけたからで、村松友視のプロレス関連の本は発売するたびに購入し、熱心に読んでいたあの時代。
しかし猪木も新日本プロレスも想像していなかったような体たらくになっていくに従って、「村松本」を紐解く気分にはならなくなってきた。
そして村松友視関連だけではないが、家を建て替えたことも含め、自分の過去を「すべて嫌悪する」時期もわたしにはあり、本もレコードもほとんど捨ててしまったものだ。
しかしかなり集めていたレコードを捨てたのは惜しかったなと、それは今となっては少々後悔している。
ちなみにLPレコード・・・過去のすべてを捨て去ろうと、持っていたものを全部ぶち割ってから処分しようと試みたのだが、LPレコードって弾力性があって、簡単には割れなかったのです。
『村松友視のプロレス塾』をこの2017年に購入し、読んだのは、「あの時期、村松友視がどう書いていたか」という興味以上に、わたし自身が当時どのような心境だったか知る縁(よすが)になるのではないかという思いだったのであり、その期待通り、なかなかおもしろい読書時間となった。
『村松友視のプロレス塾』に載っているエッセイが取り上げているのは新日・全日の引き抜き合戦が激しくなってきた時代であり、「プロレスの見方ではなく、新日の見方じゃないか!」と全日本プロレスファンに批判されることもあった村松友視らしく、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンの全日移籍に対する「残念さ」を行間から漂わせまくっている。
しかしその話題より遙かにわたしの興味を引いたのが、「痩せてきたドリー・ファンク・ジュニア」についての文章で、要するに、
「テレビやプロレス誌では、体重を絞って全盛期の動きを取り戻したドリーと言われているけれど、病気のような痩せ方にしか見えず、その点について誰も言及しないのはおかしいのではないか」という趣旨だ。
プロレスメディアが「おかしい」のは今も昔も変わらないが、それよりも村松友視がドリー・ファンク・ジュニアに対してこの時点でも、「偉大なアスリート的プロレスラー」としての期待を持っていたことに大きな興味を引かれたわけだ。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
『村松友視のプロレス塾』を読むと、村松友視の心の中のドリー・ファンク・ジュニアがいかに高級だったかがよく分かり、それほどまでに「高級」だと信じていたドリー・ファンク・ジュニアがどんどん安くなっていく現実を前にしてとてもとても受け入れ難く、けれそ結局は受け入れざるを得ないこと間違いなしの近い将来が待っていること必定で、村松友視のブロークン・ハートを慮(おもんばか)ると(可哀想じゃあああああああ)とわたしの心が掻き乱されることはない。
それにしてもなぜ今、『村松友視のプロレス塾』なのかと言えば、BOOK OFFで文庫版を108円で売っているのを見かけたからで、村松友視のプロレス関連の本は発売するたびに購入し、熱心に読んでいたあの時代。
しかし猪木も新日本プロレスも想像していなかったような体たらくになっていくに従って、「村松本」を紐解く気分にはならなくなってきた。
そして村松友視関連だけではないが、家を建て替えたことも含め、自分の過去を「すべて嫌悪する」時期もわたしにはあり、本もレコードもほとんど捨ててしまったものだ。
しかしかなり集めていたレコードを捨てたのは惜しかったなと、それは今となっては少々後悔している。
ちなみにLPレコード・・・過去のすべてを捨て去ろうと、持っていたものを全部ぶち割ってから処分しようと試みたのだが、LPレコードって弾力性があって、簡単には割れなかったのです。
『村松友視のプロレス塾』をこの2017年に購入し、読んだのは、「あの時期、村松友視がどう書いていたか」という興味以上に、わたし自身が当時どのような心境だったか知る縁(よすが)になるのではないかという思いだったのであり、その期待通り、なかなかおもしろい読書時間となった。
『村松友視のプロレス塾』に載っているエッセイが取り上げているのは新日・全日の引き抜き合戦が激しくなってきた時代であり、「プロレスの見方ではなく、新日の見方じゃないか!」と全日本プロレスファンに批判されることもあった村松友視らしく、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンの全日移籍に対する「残念さ」を行間から漂わせまくっている。
しかしその話題より遙かにわたしの興味を引いたのが、「痩せてきたドリー・ファンク・ジュニア」についての文章で、要するに、
「テレビやプロレス誌では、体重を絞って全盛期の動きを取り戻したドリーと言われているけれど、病気のような痩せ方にしか見えず、その点について誰も言及しないのはおかしいのではないか」という趣旨だ。
プロレスメディアが「おかしい」のは今も昔も変わらないが、それよりも村松友視がドリー・ファンク・ジュニアに対してこの時点でも、「偉大なアスリート的プロレスラー」としての期待を持っていたことに大きな興味を引かれたわけだ。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、素敵」篇。2017年12月2日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、素敵」篇。
「猫、素敵」
寒波の近付いた日
これじゃただの馬鹿だと
ぼくは反省し
またしても
素敵なバカとなることを
誓う
・・・・・・
ぼくの素敵なネコに
相応しい男に
ならなければね!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、素敵」
寒波の近付いた日
これじゃただの馬鹿だと
ぼくは反省し
またしても
素敵なバカとなることを
誓う
・・・・・・
ぼくの素敵なネコに
相応しい男に
ならなければね!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)