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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●多様にして魅惑的な「訓練(レッスン)」で、あなたの人生を変えます。2017年12月9日 [「言葉」による革命]

※2017年12月23日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~多様にして魅惑的な「訓練(レッスン)」で、あなたの人生を変えます。

はい。

末尾ルコ〈「言葉」による革命〉では、常に多様にして魅惑的な「訓練(レッスン)」方法を開発・発展させるべく努力をしています。

もちろん「言葉の力」をできる限り発動させ、「人間の言語能力」向上を芯に置いておりますが、「言語能力」の向上が、「人間性&人間的能力」のあらゆる要素を向上させ、研磨していくことも日々、実感していただけると確信しております。

「~的」という接尾辞を持った言葉を使用しての訓練もその一つです。

ところであなたは、「~的」という接尾辞を盛った言葉、どのくらいすぐに思いつきますか?

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年12月9日 [愛の景色]

シューベルトのシュークリームを
あなたに贈りたい

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「遠藤周作『沈黙』だけでなく、アメリカやフランスで映画化されてほしい日本の小説は多い」。2017年12月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「遠藤周作『沈黙』だけでなく、アメリカやフランスで映画化されてほしい日本の小説は多い」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

遠藤周作の『沈黙』は間違いなく日本文学史上における「凄まじい小説」の一つで、「カトリック信仰」という一般の日本人とは掛け離れた精神活動を日本語によって、しかも一般の日本人にも理解しやすい作品として完成させているのは驚異としか言いようがない。
『沈黙』は篠田正浩監督によっても映画化されているが、日本映画の場合どうしても予算や撮影期間などに限度があり、もちろんかつての黒澤明、溝口健二作品などは例外だが、どうしてもスケール感に乏しい作品となる。
その分、表現に先鋭性を持たせたりして補うわけで、上手くいけば素晴らしく刺激的な映画ができるけれど、やはり素晴らしい小説を、予算も時間もじっくりかけた映画も観たい。
そこへマーティン・スコセッシの『沈黙 サイレンス』だ。
やはり違う。
日本人監督が日本で撮った映画とはまったく違う。
ある意味複雑な気持ちにはなる。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


●藤あや子、そのギリシャ神のような「雪 深深」。 [「言葉」による革命]

●藤あや子、そのギリシャ神のような「雪 深深」。

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

藤あや子、現在日本で最も劇的なステージパフォーマンスを披露する表現者の一人。
11月に放送されたNHKの『歌謡チャリティーコンサート』で「雪 深深」を歌うその姿は、あたかもギリシャ神話の、あるいはギリシャ悲劇の恐怖の主人公が顕現したかのようだった。

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●「痒い」、そして「かくと気持ちいい」という不思議な感覚~それとは関係なく、『日本有線大賞』大賞受賞の氷川きよしの歌唱クオリティについて。 [「言葉」による革命]

●「痒い」、そして「かくと気持ちいい」という不思議な感覚~それとは関係なく、『日本有線大賞』大賞受賞の氷川きよしの歌唱クオリティについて。

末尾ルコ「音楽と日常描写の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

目、と言うか、瞼の内側と言った方が正確だが、もっと「わたしの場合」を詳細に語れば、左目頭の辺りが痒くなることがあるのだけれど、痒くなってもかくべきでないことはわかっているのである。
ところが、「かいている時間」のあまりの心地よさに負けてしまうことも少なくない。
「痒いところをかく心地よさ」とは何なのだろう。
そもそも、「痒い」という感覚はかなり不可思議なものだ。
「痛み」の場合はただ「痛い」がそこの場所にあり、「痛み」に対する人間の思いは、「痛みが消失するか否か」かかってくる。
ところが「痒い」の場合は、もちろんわたしたちは「痒みの消失」を願うのだけれど、その前に「かけば気持ちいい」という前段階がある。
そしてその「気持ちよさ」たるや、「痒みなし」では決して味わうことのできない圧倒的快感なのだ。
ところが「かいた後」、その箇所の炎症は悪化し、より痒くなったり、その他のトラブルも表われる。
実に不思議で理不尽な感覚だ。

などと、またぞろ痒い目頭をごしごし擦った後の不快な熱感を味わい後悔しながら、そんなことを考えたものだけれど、目薬させばちったあよくなることも付記しておこう。

50回目の節目に「テレビ放送終了」と謳われた今年の『日本有線大賞』だが、大賞は氷川きよしが獲得した。
対象曲は「男の絶唱」で、「白雲の城」とともに私はこの歌、大好きである。

演歌・歌謡曲冬の時代に氷川きよしが果たしてきた役割は極めて大きく、早い時期から広範な知名度と人気を獲得し、先細り気味の演歌シーンを牽引してきたのは、今年まで(笑)演歌に疎かったわたしでも実感として理解している。
そして若い頃から様々な楽曲に挑戦し、「演歌イメージ」の拡大にも大きく貢献してきた。
演歌の世界、かつては「一曲ヒットすれば、生涯食べていける」とも言われていて、現に一曲だけのヒットでいまだに歌い続けている演歌歌手は数多いが、氷川きよしは常に「トップランナー」イメージを保ち続けていて、その点でも凄い。
というわけで、氷川きよしに対して何ら注文を付けるところはないと思うが、一つ気づいたのが、

「続けて歌を聴いていると、単調に感じてくる」

という点であり、これは氷川きよしだけでなく、演歌歌手の多くに共通する問題点だと思う。
この件についても、今後思考を深めていきたい。



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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、愛」篇。2017年12月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、愛」篇。

「猫、愛」

まずは自らの心を鍛えよ
磨け 休むな
その上で世界を見よ
愛を想え

・・・・・・

ぼくの素敵なネコこそ
純粋で深い
唯一の



(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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