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[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●カフェでのマナーとは?カフェで突っ伏して眠る大学生の話題からさらに深める。あるいは、「鼻の痛み」と「歓び」とは?2017年12月10日 [「言葉」による革命]

※2017年12月25日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~カフェでのマナーとは?カフェで突っ伏して眠る大学生の話題からさらに深める。

12月7日の朝、鼻の右側がほんの少し痛かったんです。
気にするまでもないほどの少しの痛みですが、(ぜんぜん気にならない)というわけにはいきません。
原因は多分、「急に気温が下がったので、鼻をかむ機会が多くなった」ことでしょう。
そして現に、午後には痛みがほぼ消失していたのですが、傷んでいる間は何かと気になりんす。
別にその痛みを「大病の前触れ」とまでは思いませんが、(痛みが続いて、しかも鼻が晴れたりしたらまずいな)とか、いろいろ考えるわけです。
この件一つとっても、「身体が普通のコンディションであるだけでも」、それが「それだけ素晴らしい歓び」であるか、わたしは感じるのです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年12月10日 [愛の景色]

あなたの予想外の登場に
わたしはトーンを極力低くして
踊る

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「『ロパートキナ 孤高の白鳥』・・・ウリアナ・ロパートキナは偉大なバレリーナの一人か?」。2017年12月10日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「『ロパートキナ 孤高の白鳥』・・・ウリアナ・ロパートキナは偉大なバレリーナの一人か?」

末尾ルコ「バレエで知性と感性を鍛えるレッスン」

『ロパートキナ 孤高の白鳥』という映画がある。
そのドキュメント映画の主人公と言うべきバレリーナ ウリアナ・ロパートキナは、アンナ・パブロワ、ヴァツラフ・ニジンスキーらを輩出した、言うまでもなく世界バレエ界の総本山に一つであるマリインスキー劇場のプリマだ。
という説明ではまったく足りないだろう。
大きなバレエ団にはどんな時代でも何人かのプリマがいる。
それはパリ・オペラ座バレエであれば、「エトワール」と呼ばれるし、もちろん単に「プリンシパル・ダンサー」と呼ぶ場合もある。
しかしウリアナ・ロパートキナはそんな「いつもいるプリマの一人」ではなく、バレエの歴史上特筆される、つまりマリインスキー劇場であれば、先に挙げたパブロワやニジンスキーら偉人とされるダンサーの直系であり比肩可能な存在でもあるということだ。
そうでなければ一人のバレリーナを題材にした長編ドキュメント映画などできない。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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末尾ルコ 美と魂のフレーズ 「スーパームーン~サロメ」 [「言葉」による革命]

・末尾ルコ 美と魂のフレーズ 「スーパームーン~サロメ」

もちろんあれだけでっかい月だ
ビアズリーBeardsleyのサロメが出たって
何の不思議もない



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●実は高知の冬も寒い話から、「いきなりラリアート」の危険なスタン・ハンセンの方がカッコいいという話へと。 [「言葉」による革命]

●実は高知の冬も寒い話から、「いきなりラリアート」の危険なスタン・ハンセンの方がカッコいいという話へと。

末尾ルコ「プロレスと日常描写の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

高知は「南国土佐」と呼ばれ、事実その通りなのだから夏はとても暑いのだけれど、冬に温暖かと言えば、いや、上等に寒いのである。
現にこの12月6日の朝もとても寒かった。
その寒さは北国と比較すればそれほどでもないのだろうけれど、夏に猛烈に暑く、元来寒さに慣れてないものだから、冬の寒さはとてもこたえる。

高知も冬は寒いのである。現在も寒いのである。寒いと嬉しくないのである。

ところで1977年愛知で行われたNWFへヴィー級世界選手権「アントニオ猪木VSスタン・ハンセン」の際、レフェリーの選手コールの時にスタン・ハンセンは「ウィー」をやってなかった。
記録を見ると、1977年だけで「猪木VSハンセン」のシングル・マッチが7回行われており、その多さに驚かされるが、それはさて置き、レフェリーコールの時に「ウィー」をやらないスタン・ハンセンが、「やる」スタン・ハンセンよりもわたしは好きである。
プロレスラーとして稼いでいくための最も大きな「価値」は「集客力」であるわけで、まず観客・ファンに「記憶される」、そして「あのレスラーの試合はおもしろい」と認識される、さらに「固定ファンを多く作る」という過程をほとんどのプロレスラーが望んでいるだろう。
だから、多くのレスラーが「キャラ立ち」を志し、もちろん所属団体やプロモーターとの相談の上で、社会生活上とはかけ離れた姿や人格を造形するわけで、そこがプロレスのおもしろいところでもあるけれど、造形されたキャラクターが常にファンに歓迎され、定着するわけではないところが難しく、おもしろいところだ。
現在のWWEのように、レスラーたちのキャラクター造形がシステマティックに過ぎ、明確にシナリオライターたちの姿が透けて見え過ぎるようになると、わたしなどは白けてしまうのだが、もちろん「現在のWWEファン」たちはそうか感じてないわけである。
あるいは、「作り過ぎる」とキャラクターは「幼稚化」していくとも言えるのだろうが、もっと突っ込んで考えれば、「幼稚化してOK」のレスラーもおれば、「幼稚化してつまらなくなった」レスラーも存在すると、わたしの感覚ではそうなわけで、スタン・ハンセンは後者なのである。

ただ、「ウィー」を連発し、ラリアートを出す前に高く左腕を挙げ、肘のサポーターを観客に分かりやすく巻き直すワンパターン動作が定着したスタン・ハンセンよりも、(いつラリアートが出るんだ?)とハラハラさせられていた「危険なスタン・ハンセン」の方がずっとカッコよかったのである。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、愛と力」篇。2017年12月10日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、愛と力」篇。

「猫、愛と力」

愛を実現するには
勇気が必要
勇気を実現するには
力が必要

・・・・・・

ぼくの愛も力も
すべて
ぼくの素敵なネコのために!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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