SSブログ

[ダイヤ]「言葉」による革命・「美」による革命[ダイヤ]  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「馬鹿」にならないための教育を推進しよう!2017年12月18日 [「言葉」による革命]

※2018年1月5日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・「馬鹿」にならないための教育を推進しよう!

はい。

「馬鹿」にならないための教育を推進しよう!

「馬鹿」という言葉をみだりに使うべきでないのはもちろんですし、「そもそも馬鹿とは何なのか」というところから入っていかねばなりません。
まあこれはどんな言葉でも同じことではあるけれど、「馬鹿」という言葉が使われるとき、使う人の頭の中で「同じ状態」が想像されているわけではないのですね。
これはこの「馬鹿」の問題に限らず、よりデリケートに言葉と接していく上で、常に念頭に置いておくべき真実です。
しかしここでわたしが敢えて「馬鹿」という言葉を使うのは、「人間性」を問う上で、この言葉が最も適切に活用できる場合があるからです。
もちろん慎重に使っていきます。

さてそれでは、

あなたの周囲にどれだけ「馬鹿」がいますか?

そもそも、あなたは「馬鹿」ではありませんか?

(続きは、有料メルマガでお願いします)

nice!(14) 
共通テーマ:アート

極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年12月18日 [愛の景色]

あなたの「シン」を
伸縮自在の
鋼のように


nice!(8) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「友人のフェノン(仮名)にタハール・ラヒムとオマール・シーのクオリティについて尋ねた!」。2017年12月18日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「友人のフェノン(仮名)にタハール・ラヒムとオマール・シーのクオリティについて尋ねた!」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

友人のフェノン(仮名)とタハール・ラヒム、そしてオマール・シーについて話し合ったのである。
最近当ブログに訪問してくださり始めた方のために説明すると、フェノンはパリのモンマルトルのホテルで長く働いていたフランス人で、あらゆる話題に対して立て板に水の如き意見を述べてくれる冴えた男である。
しかもユーモア感覚も抜群。
ここまでの人物はそうそういないのである。
もちろん熱心なシネフィルでもあり、しかし通ぶったところはまったくないバランス感覚の持ち主である。
映画ファンだけでなく、「通ぶる」のは止めた方がいい。
通ぶって講釈を延々と垂れる人間の話がおもしろかったためしはないのである。
そんあフェノン、タハール・ラヒムに関して、

「いい俳優だ。でもまだ凄い俳優だとは言えない」

うん。
慎重な姿勢である。
そしてフランスで人気抜群のオマール・シー。
わたしは、「オマール・シーの人気の理由を説明してほしい」と乞うと、

「なにせ感じがいい。そしておもしろい。いつも笑顔で、その笑顔が人を惹きつける」

とまあ、だいたいこんな感じの意見である。
シンプルにして、的確だとは思わないかい?

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


nice!(10)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

●末尾ルコ 魂のフレーズ「一つの美術論」 [「言葉」による革命]

・末尾ルコ 魂のフレーズ「一つの美術論」

お上品な「お美術談義」じゃつまらない。
お上品な「お美術蘊蓄」退屈だ。
「お上品」と「上品」は違うんだぜ。

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

●「履くだけで痩せる」レギンスと謳った通信販売会社「SAKLIKIT」に措置命令・・・しかしこのような例はいくらでもあり、広告掲載媒体の責任は? [「言葉」による革命]

●「履くだけで痩せる」レギンスと謳った通信販売会社「SAKLIKIT」に措置命令・・・しかしこのような例はいくらでもあり、広告掲載媒体の責任は?

末尾ルコ「社会問題の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

朝日新聞デジタルの記事として次のような見出しでYahooにもアップされていた。

〈「痩せるレギンス」根拠なし 通販会社に措置命令〉

その内容は、通信販売会社「SAKLIKIT(さくらいき)」(大阪市中央区)が商品のレギンスを「履くだけで痩せる」などと謳って宣伝していたというもの。
これが景品表示法違反(優良誤認)にあたるとして、消費者庁が同社に対して再発防止を求める措置命令を出したとしているけれど、このテの宣伝や商法は巷にいくらでも転がっているし、テレビのCMでも似たようなインチキ臭いものは多くあるし、そもそも「なんちゃって社会正義」を標榜している新聞も、怪しげな健康食品・健康器具などの広告を掲載していることしばしばである。
CMや広告を掲載した媒体の責任は問われないのもおかしな話だと思う。
調べてみるとそうした責任を「問われる場合もある」らしいのだが、もっと厳しくすべきではないだろうか。
確かに媒体側にも前もって「インチキか否か」が分かり難い商品もあるだろうが、「どう見てもインチキ」という商品のCMや広告もよく見かける。
いまだに「使用前・使用後」的な手法を用いているCMや広告は数多いが、この手法を用いていること自体、仮にその「使用前・使用後」写真などが「本物」であったとしても、「広告倫理」(というものがあればの話だが)的には極めて黒に近いグレイなのではないか。
例えば、「顔のしわが減り、肌がきれいになる」と謳われている商品の「使用前・使用後」の写真があるとして、こうしたものはまず、「撮り方(照明など)」が怪しいものであり、しかも「使用前」から「使用後」に変化した理由が「本当にその商品の効果か否か」を確認することなど一切できないのである。
あるいは、「これだけ痩せました」というCMや広告があるとして、確かにそのモデルが痩せていたのだとしても、それが本当に当該の商品の効果であるかどうかは、広告を見ているだけでは分からないのである。

というわけで、まだまだ世の中「悪質商法」「悪質すれすれ商法」がどこにもかしこにも存在するけれど、消費者としてはまず「疑ってかかる」こと。
そしてこのようなことに関しては、もっと取り締まりを厳しくし、広告掲載媒体、そして場合によっては、「広告出演者」の責任も問題にすべきだと思う。

nice!(20)  コメント(2) 
共通テーマ:アート

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、普遍」篇。2017年12月18日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、普遍」篇。

「猫、普遍」

不変と
普遍の
共通点を
ぼくは見つけた

・・・・・・

もちろん
ぼくの素敵なネコと
ぼくの

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート