●高齢者の社会貢献とカフェと「言葉」。2017年12月28日。 [「言葉」による革命]
※2018年1月9日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・高齢者の社会貢献とカフェと「言葉」。
はい。
高齢者の社会貢献とカフェと「言葉」。
そうなんです。
「社会貢献」に関しては今までもいろいろな形でお話してきました。
NPOなどを含め、様々な団体や個人が社会貢献に尽力していることはよく分かっています。
ただ、「真の社会貢献」と言いますか、どんなことでもまず「土壌」が豊かで、そしてしっかりと根を張っていかないことには、葉も繁らないし、花も咲きません。
この「土壌」、そして「根」に当たる部分が人間社会においては「言葉」なのであり、さらに「言葉」は幹にも枝にも葉にも花にもなれるのです。
ここをまず、よく理解してください。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」・・・高齢者の社会貢献とカフェと「言葉」。
はい。
高齢者の社会貢献とカフェと「言葉」。
そうなんです。
「社会貢献」に関しては今までもいろいろな形でお話してきました。
NPOなどを含め、様々な団体や個人が社会貢献に尽力していることはよく分かっています。
ただ、「真の社会貢献」と言いますか、どんなことでもまず「土壌」が豊かで、そしてしっかりと根を張っていかないことには、葉も繁らないし、花も咲きません。
この「土壌」、そして「根」に当たる部分が人間社会においては「言葉」なのであり、さらに「言葉」は幹にも枝にも葉にも花にもなれるのです。
ここをまず、よく理解してください。
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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「現在世界で最高にワクワクする映画監督の一人、ドゥニ・ヴィルヌーヴの〈高熱の暗黒〉」。2017年12月28日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「現在世界で最高にワクワクする映画監督の一人、ドゥニ・ヴィルヌーヴの〈高熱の暗黒〉」。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
カナダの映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品には今のところハズレがなく、それどころか、「ただおもしろい」とか「いい作品だ」といった感想を超えて、どの作品も鑑賞中「ワクワクしてしまう」ものばかりである。
どんな芸術作品でも、「ワクワクする」という状態が「最高の状態」の一つだ。
「ワクワクする」、英語で言えば、
「エキサイティング」。
これ、人間の生活、そして人生にとってとても重要な要素です。
カナダの映画監督と言えば、最近はグザヴィエ・ドランの早熟な天才ぶりがずっと注目されていたが、このところワンパターンの作風にかなり批判が集まっている。
作家性の強い映画監督の難しいところだが、ドゥニ・ヴィルヌーヴもその演出方法に「作風」と呼べる要素はある。
ドゥ二・ヴィルヌーヴの「作風」とは、抽象的な表現で言えば、
「高熱の暗黒」という感覚だ。
「高熱の暗黒」。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
カナダの映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの作品には今のところハズレがなく、それどころか、「ただおもしろい」とか「いい作品だ」といった感想を超えて、どの作品も鑑賞中「ワクワクしてしまう」ものばかりである。
どんな芸術作品でも、「ワクワクする」という状態が「最高の状態」の一つだ。
「ワクワクする」、英語で言えば、
「エキサイティング」。
これ、人間の生活、そして人生にとってとても重要な要素です。
カナダの映画監督と言えば、最近はグザヴィエ・ドランの早熟な天才ぶりがずっと注目されていたが、このところワンパターンの作風にかなり批判が集まっている。
作家性の強い映画監督の難しいところだが、ドゥニ・ヴィルヌーヴもその演出方法に「作風」と呼べる要素はある。
ドゥ二・ヴィルヌーヴの「作風」とは、抽象的な表現で言えば、
「高熱の暗黒」という感覚だ。
「高熱の暗黒」。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●田川寿美と新妻聖子の「蘇州夜曲」を聴き比べてみよう。 [「言葉」による革命]
●田川寿美と新妻聖子の「蘇州夜曲」を聴き比べてみよう。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
はい。
多くは申しません(笑)。
田川寿美と新妻聖子の「蘇州夜曲」を聴き比べてみよう。
ぜひ一度。
田川寿美
https://www.youtube.com/watch?v=9wcvT4cxuIw
新妻聖子
https://www.youtube.com/watch?v=4HB-kzjWc8U
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
はい。
多くは申しません(笑)。
田川寿美と新妻聖子の「蘇州夜曲」を聴き比べてみよう。
ぜひ一度。
田川寿美
https://www.youtube.com/watch?v=9wcvT4cxuIw
新妻聖子
https://www.youtube.com/watch?v=4HB-kzjWc8U
●「悠久感」歌謡史上最高か?「蘇州夜曲」を田川寿美と新妻聖子の歌唱で聴き比べ! [「言葉」による革命]
●「悠久感」歌謡史上最高か?「蘇州夜曲」を田川寿美と新妻聖子の歌唱で聴き比べ!
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
日本のポピュラー音楽・・・と言うと「どこからどこまでが」という話になって、実に大雑把な捉え方になるが、欧米のヒットチャートと比較すると、「ロック」が大きなセールスを上げたことはまずなく、有名どころはだいたい「ロック風歌謡」「ロック風ポップス」だ。
日本の文化土壌でそこを変えるのはなかなかに難しいことだと思うが、まあ「ポピュラー音楽」の範疇として普段意識されているのは、「歌謡曲」「流行歌」「演歌」「(いわゆる)ニューミュージック」、そして現在なら「J POP」といったところか。
こうして並べても実に意味するところの曖昧な言葉ばかりで、特に「(いわゆる)ニューミュージック」という言葉の軽さが今でも苦笑ものだが、例えば最近BSプレミアムで放送した1時間ほどの山内惠介特集番組で彼はある曲をきっかけに、
「ぼくも演歌歌手というだけではなくて、流行歌手になれるかもしれないと、世界が広がった気分だった」
という意味の発言をしていた。
それを聴きながら、(ああ、歌手たちの中ではこうした名目に思い入れがある人もいるのだな)と感じたのである。
ただわたしとしては細かな名目分けにはさほど興味はなく、自分の感覚で「いい!」「素晴らしい!」と感じた音楽はできるだけ聴いていきたいと、それがかなり前からの音楽にと言うか、文化芸術に対するスタンスである。
思い出せば10代の頃は、「知的な(?)プログレファンである自分」「尖鋭的なパンク・ニューウェイヴファンである自分」にこだわっていて、時々赤面してしまうわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
ところで演歌というもの、余程特別な曲想を持っている歌でなければ、(どれもおんなじじゃん!)と感じてしまうことしばしばだが、この点についても今後のテーマとして深めていきたい。
では、「蘇州夜曲」は名曲だろうか?
名曲である。
作詞は西條八十、作曲は服部良一。
李香蘭主演の「支那の夜」というえいがの劇中歌として発表されたそうだが、それが1940年(昭和15年)。
しかし1940年よりもずっと前から歌われているようなスタンダード感があり、しかも「古い」印象はまったくない。
「蘇州夜曲」をカヴァーしている歌手は驚くほど多く、しかも2000年以降にレコーディングしている人がやたらと多いところからも、「蘇州夜曲」の悠久性がよく分かる。
そして日本の歌謡史において、これほどまでに耽美かつロマンティシズムに満ちた悠久感を溢れさせた歌は他にはなかなかないと見る。
様々な歌い手たちの「蘇州夜曲」、今後じっくり聴き比べて行こうと思っているが、今回は田川寿美と新妻聖子による歌唱をぜひ聴き比べていただきたい。
田川寿美
https://www.youtube.com/watch?v=9wcvT4cxuIw
新妻聖子
https://www.youtube.com/watch?v=4HB-kzjWc8U
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
日本のポピュラー音楽・・・と言うと「どこからどこまでが」という話になって、実に大雑把な捉え方になるが、欧米のヒットチャートと比較すると、「ロック」が大きなセールスを上げたことはまずなく、有名どころはだいたい「ロック風歌謡」「ロック風ポップス」だ。
日本の文化土壌でそこを変えるのはなかなかに難しいことだと思うが、まあ「ポピュラー音楽」の範疇として普段意識されているのは、「歌謡曲」「流行歌」「演歌」「(いわゆる)ニューミュージック」、そして現在なら「J POP」といったところか。
こうして並べても実に意味するところの曖昧な言葉ばかりで、特に「(いわゆる)ニューミュージック」という言葉の軽さが今でも苦笑ものだが、例えば最近BSプレミアムで放送した1時間ほどの山内惠介特集番組で彼はある曲をきっかけに、
「ぼくも演歌歌手というだけではなくて、流行歌手になれるかもしれないと、世界が広がった気分だった」
という意味の発言をしていた。
それを聴きながら、(ああ、歌手たちの中ではこうした名目に思い入れがある人もいるのだな)と感じたのである。
ただわたしとしては細かな名目分けにはさほど興味はなく、自分の感覚で「いい!」「素晴らしい!」と感じた音楽はできるだけ聴いていきたいと、それがかなり前からの音楽にと言うか、文化芸術に対するスタンスである。
思い出せば10代の頃は、「知的な(?)プログレファンである自分」「尖鋭的なパンク・ニューウェイヴファンである自分」にこだわっていて、時々赤面してしまうわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
ところで演歌というもの、余程特別な曲想を持っている歌でなければ、(どれもおんなじじゃん!)と感じてしまうことしばしばだが、この点についても今後のテーマとして深めていきたい。
では、「蘇州夜曲」は名曲だろうか?
名曲である。
作詞は西條八十、作曲は服部良一。
李香蘭主演の「支那の夜」というえいがの劇中歌として発表されたそうだが、それが1940年(昭和15年)。
しかし1940年よりもずっと前から歌われているようなスタンダード感があり、しかも「古い」印象はまったくない。
「蘇州夜曲」をカヴァーしている歌手は驚くほど多く、しかも2000年以降にレコーディングしている人がやたらと多いところからも、「蘇州夜曲」の悠久性がよく分かる。
そして日本の歌謡史において、これほどまでに耽美かつロマンティシズムに満ちた悠久感を溢れさせた歌は他にはなかなかないと見る。
様々な歌い手たちの「蘇州夜曲」、今後じっくり聴き比べて行こうと思っているが、今回は田川寿美と新妻聖子による歌唱をぜひ聴き比べていただきたい。
田川寿美
https://www.youtube.com/watch?v=9wcvT4cxuIw
新妻聖子
https://www.youtube.com/watch?v=4HB-kzjWc8U
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、鏡花」篇。2017年12年28日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、鏡花」篇。
「猫、鏡花」
薊野川を感じながら
『外科室』を読んでいた
泉鏡花の
するとその後の夢で
・・・・・・
鏡花が描いたどんな女性よりも魅惑的な
ぼくの素敵なネコ!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、鏡花」
薊野川を感じながら
『外科室』を読んでいた
泉鏡花の
するとその後の夢で
・・・・・・
鏡花が描いたどんな女性よりも魅惑的な
ぼくの素敵なネコ!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)