●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その9.ゲイリー・オールドマンは「神」か? [「言葉」による革命]
●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その9.ゲイリー・オールドマンは「神」か?
末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
第75回ゴールデングローブ賞(2018)主演男優賞(ドラマ部門)のノミネートされているゲイリー・オールドマンだが、斉藤工が言うには、「ブラッド・ピットはオールドマンを神と呼んでいる」と。
わたしはそこまでの思い入れは持ってないが、もちろんゲイリー・オールドマンは常に気になる俳優であり、今後も出演作を繰り返し観たいと考えている。
オールドマンが世界的に名を轟かせたのは『JFK』におけるオズワルド役で、出演シーンは少ないながら、その異様な雰囲気の醸成は背筋が寒くなるほどだった。
末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
第75回ゴールデングローブ賞(2018)主演男優賞(ドラマ部門)のノミネートされているゲイリー・オールドマンだが、斉藤工が言うには、「ブラッド・ピットはオールドマンを神と呼んでいる」と。
わたしはそこまでの思い入れは持ってないが、もちろんゲイリー・オールドマンは常に気になる俳優であり、今後も出演作を繰り返し観たいと考えている。
オールドマンが世界的に名を轟かせたのは『JFK』におけるオズワルド役で、出演シーンは少ないながら、その異様な雰囲気の醸成は背筋が寒くなるほどだった。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?デ・ニーロが最も美しい映画とは?」。2018年1月8日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「ロバート・デ・ニーロこそ最も偉大な映画俳優か?デ・ニーロが最も美しい映画とは?」。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
ロバート・デ・ニーロの美。
それが最も純粋に表出されている映画の日本が、
『ゴッドファーザーPart2』
と
『1900年』です。
ロバート・デ・ニーロを語る時、どうしてもその演技、狂気、そしていわゆる「デ・ニーロ・アプローチ」などというイメージが真っ先に来て、分かる人は分かっているでしょうが、
「ロバート・デ・ニーロの美しさ」
について語られることはそんなに多くないのです。
しかしロバート・デ・ニーロは特にこの2本の映画、
『ゴッドファーザーPart2』
と
『1900年』
の中で、誰も寄せ付けぬほど美しい。
映画は舞台の芝居とは似て非なるものです。
「アップに耐える顔」という表現がとりわけ映画に対して使われるのは、映画において、
「俳優の顔も美術の一部」だからです。
末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
ロバート・デ・ニーロの美。
それが最も純粋に表出されている映画の日本が、
『ゴッドファーザーPart2』
と
『1900年』です。
ロバート・デ・ニーロを語る時、どうしてもその演技、狂気、そしていわゆる「デ・ニーロ・アプローチ」などというイメージが真っ先に来て、分かる人は分かっているでしょうが、
「ロバート・デ・ニーロの美しさ」
について語られることはそんなに多くないのです。
しかしロバート・デ・ニーロは特にこの2本の映画、
『ゴッドファーザーPart2』
と
『1900年』
の中で、誰も寄せ付けぬほど美しい。
映画は舞台の芝居とは似て非なるものです。
「アップに耐える顔」という表現がとりわけ映画に対して使われるのは、映画において、
「俳優の顔も美術の一部」だからです。
●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その8.ついにゲイリー・オールドマンが? [「言葉」による革命]
●第75回ゴールデングローブ賞(2018)ノミネーションを素材に、映画の現状と2018年を展望。その8.ついにゲイリー・オールドマンが?
末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
第75回ゴールデングローブ賞(2018)主演男優賞(ドラマ部門)ノミネーションは次の通りだった。
ティモテ・シャラメ/『Call Me by Your Name(原題)』
ダニエル・デイ=ルイス/『Phantom Thread(原題)』
トム・ハンクス/『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
ゲイリー・オールドマン/『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』
デンゼル・ワシントン/『Roman J. Israel, Esq.(原題)』
デイ=ルイス、ハンクス、ワシントンにまたしても賞が贈られる可能性は低いと予想できる。
そして、「そろそろゲイリー・オールドマンに大きな賞を」という機運により、アカデミー賞主演男優賞も含め、かなりの賞が贈られるのではないか。
末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
第75回ゴールデングローブ賞(2018)主演男優賞(ドラマ部門)ノミネーションは次の通りだった。
ティモテ・シャラメ/『Call Me by Your Name(原題)』
ダニエル・デイ=ルイス/『Phantom Thread(原題)』
トム・ハンクス/『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
ゲイリー・オールドマン/『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』
デンゼル・ワシントン/『Roman J. Israel, Esq.(原題)』
デイ=ルイス、ハンクス、ワシントンにまたしても賞が贈られる可能性は低いと予想できる。
そして、「そろそろゲイリー・オールドマンに大きな賞を」という機運により、アカデミー賞主演男優賞も含め、かなりの賞が贈られるのではないか。
●2017年『紅白歌合戦』~内村光良の司会は本当に「絶賛」されるべきか?丘みどりの歌唱時間、三山ひろしの「けん玉、ギネスに挑戦」はいかがか? [「言葉」による革命]
●2017年『紅白歌合戦』~内村光良の司会は本当に「絶賛」されるべきか?丘みどりの歌唱時間、三山ひろしの「けん玉、ギネスに挑戦」はいかがか?
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
2017年大晦日は『紅白歌合戦』を丘みどりが歌う前後まで観たが、内村光良や桑子真帆の司会進行ぶりがつまらなく、まあ食事も摂って眠くなったこともあるし、そもそも中盤から後半にかけては「ぜひ観たくない、聴きたくない」出演者が目白押しなものであるから、起きている価値はわたしにとってはない。
ところが2018年となり、ネットでは内村光良の司会ぶりに概ね絶賛のプチ嵐。
かくも「わたし」と「世間」の感覚が違うものかとあらためて強く認識した次第である。
もっとも、「紅白の司会進行とはそもそもどうしようもなく退屈でつまらないもの」と理解しておれば、「その割には内村光良はましだった」と言えないこともない。
確かに前年の、「『シン・ゴジラ』とコラボ」という意味不明の企画を延々と放送した救いようのなさに比べれば、「いくぶんまとも」だったとは言えるのかもしれない。
しかしもともとわたしはウッチャンナンチャンのちまちました世界観の逆には笑えず、まあ「ぜんぜん笑えない」とまでは言わないけれど、本質的に肌に合わないものだから、内村光良の司会ぶりにもそのバイアスがかかっているとは正直なところ言える。
それにしても演歌歌手に対する扱いはいただけず、五木ひろしや石川さゆりら大御所はともかくも、念願の初出場を果たした丘みどりが歌えたのは、『佐渡の夕笛』の「1番+3番の半分」と、短いのである。
通常の歌番組では基本、「1番+3番」なのだけれど内村光良を中心としたコントが随所でだらだらと続き、放送時間は長すぎるほどたっぷり取っているのだから、せめて普段通りの長さで歌手たちには歌わせてあげるべきではないか。
さらに悲惨だったのは三山ひろしの番であり、歌唱の最中に「けん玉ギネスに挑戦」と、これまた意味不明の企画を並行してやっていて、よくあんなこと事務所が許したなあと、若手演歌歌手はやはり随分と立場が弱いなあと再認識した次第である。
などと真っ当なことを言おうが書こうが最早『紅白歌合戦』が、「歌手が心を籠めて歌う」姿を観て聴いて堪能するというコンセプトの番組からは大きく逸脱してしまっている現状を鑑みると空しいだけである気もする。
今日び口パクのすべてが悪いとはわたしも言わないが、しかしいかにも口パク出演者が多くなり過ぎていて、
「人間の優れた歌手がその魂と技術を存分に発揮して歌唱する」
歌を聴く格別な感動というものがどんどん忘れ去られていく可能性も懸念される現状ではある。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
2017年大晦日は『紅白歌合戦』を丘みどりが歌う前後まで観たが、内村光良や桑子真帆の司会進行ぶりがつまらなく、まあ食事も摂って眠くなったこともあるし、そもそも中盤から後半にかけては「ぜひ観たくない、聴きたくない」出演者が目白押しなものであるから、起きている価値はわたしにとってはない。
ところが2018年となり、ネットでは内村光良の司会ぶりに概ね絶賛のプチ嵐。
かくも「わたし」と「世間」の感覚が違うものかとあらためて強く認識した次第である。
もっとも、「紅白の司会進行とはそもそもどうしようもなく退屈でつまらないもの」と理解しておれば、「その割には内村光良はましだった」と言えないこともない。
確かに前年の、「『シン・ゴジラ』とコラボ」という意味不明の企画を延々と放送した救いようのなさに比べれば、「いくぶんまとも」だったとは言えるのかもしれない。
しかしもともとわたしはウッチャンナンチャンのちまちました世界観の逆には笑えず、まあ「ぜんぜん笑えない」とまでは言わないけれど、本質的に肌に合わないものだから、内村光良の司会ぶりにもそのバイアスがかかっているとは正直なところ言える。
それにしても演歌歌手に対する扱いはいただけず、五木ひろしや石川さゆりら大御所はともかくも、念願の初出場を果たした丘みどりが歌えたのは、『佐渡の夕笛』の「1番+3番の半分」と、短いのである。
通常の歌番組では基本、「1番+3番」なのだけれど内村光良を中心としたコントが随所でだらだらと続き、放送時間は長すぎるほどたっぷり取っているのだから、せめて普段通りの長さで歌手たちには歌わせてあげるべきではないか。
さらに悲惨だったのは三山ひろしの番であり、歌唱の最中に「けん玉ギネスに挑戦」と、これまた意味不明の企画を並行してやっていて、よくあんなこと事務所が許したなあと、若手演歌歌手はやはり随分と立場が弱いなあと再認識した次第である。
などと真っ当なことを言おうが書こうが最早『紅白歌合戦』が、「歌手が心を籠めて歌う」姿を観て聴いて堪能するというコンセプトの番組からは大きく逸脱してしまっている現状を鑑みると空しいだけである気もする。
今日び口パクのすべてが悪いとはわたしも言わないが、しかしいかにも口パク出演者が多くなり過ぎていて、
「人間の優れた歌手がその魂と技術を存分に発揮して歌唱する」
歌を聴く格別な感動というものがどんどん忘れ去られていく可能性も懸念される現状ではある。
〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ詩D「猫、見える」。2018年1月8日 [「言葉」による革命]
「猫、見える」
見えること
見えても見えてない
そんな人たちの中で
見えるようになろうという修行
・・・・・・
誰も持ったことのない視力を
ぼくの素敵なネコのために!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
見えること
見えても見えてない
そんな人たちの中で
見えるようになろうという修行
・・・・・・
誰も持ったことのない視力を
ぼくの素敵なネコのために!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、意味」篇。2018年1月7日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、意味」篇。
「猫、意味」
意味
場
実は何も意味などないかもしれないし
すべてに意味があるのかもしれない
・・・・・・
ぼくにとって
あらゆる意味は、
ぼくの素敵なネコから発する
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、意味」
意味
場
実は何も意味などないかもしれないし
すべてに意味があるのかもしれない
・・・・・・
ぼくにとって
あらゆる意味は、
ぼくの素敵なネコから発する
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)