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●末尾ルコ選定「あなたを鍛えるモノクロ傑作映画ベスト5」。その5 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『散り行く花』(DWグリフィス)

サイレント時代のミューズ リリアン・ギッシュはこの映画の中で何度となく「笑顔を作る」・・・その「笑顔」の中にどれだけの恐怖と「人間存在の哀しみ」が籠められているか。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「今、一番好きな女優、サラ・ガドン論、その美、話し方」その3。~その代表作、あるいはアリシア・ヴィキャンデルの『ピュア 純潔』。2018年2月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「今、一番好きな女優、サラ・ガドン論、その美、話し方」その3。~その代表作、あるいはアリシア・ヴィキャンデルの『ピュア 純潔』。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ではここで、現在最も活躍している、そして魅力ある映画女優の一人、アリシア・ヴィキャンデルの代表作についてお話しましょう。

『リリーのすべて』
『エクス・マキナ』などの強力なフィルモグラフィーを持つアリシア・ヴィキャンデルだけれど、それでもわたしはスウエーデン時代の主演作『ピュア 純潔』を代表作に挙げます。

『ピュア 純潔』の監督はリサ・ラングセット。
スウェーデンは映画史的にも強力な監督を輩出し、強力な俳優を輩出する。

所得、そして生活・文化環境の低い家庭に育った少女がコンサートホールの受付の仕事を得、そこで知り合った妻子ある指揮者と不倫関係を始める。
指揮者の住む世界、指揮者が口にする話題や貸してくれる書籍などは、少女の生きてきた世界とあまりに違っていた。

アリシア・ヴィキャンデルは、この作品がが映画デビューだというから驚きだ。

簡潔な演出も素晴らしいし、共演者も十分役割を果たしているけれど、極言すれば、『ピュア 純潔』は、

「アリシア・ヴィキャンデルでほとんどが成立している映画」

だ。
そしてまったく違うけれど、『みじかくも美しく燃え』や『アデルの恋の物語』を想起させる味もある。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●山田姉妹へのメッセージ「聖母マリア」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

極寒の冬、お二人のご活躍を伝えていただけるだけで、グッと温かくなります。
お二人の天からのお声を支えてくださる方々にも感謝の念はたえません。
雲間の聖母マリアの如き、お二人の歌唱を今からまた聴きましょう。RUKO

・・・・・・

3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!

山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224

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●末尾ルコの個人史的記憶の中のホットケーキ、うすら卵の煮つけ、そして「寿司屋で1万円」。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコの個人史的記憶の中のホットケーキ、うすら卵の煮つけ、そして「寿司屋で1万円」。

末尾ルコ「昭和氏の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしは小学時代、女の子と遊ぶことが多かった。
学校の「お楽しみ会」の時に出し物としてフィンガー5の曲をグループで歌ったことがあるが、わたし以外はすべて女子だった。
女の子の家に遊びに行くことも多く、その中で今でもよく覚えているのが、「子ども用の調理キット」的おもちゃを持っていた子がいて、極小のフライパンで極小のホットケーキを作っているのを見て、(旨そうだなあ)と思ったのだけれど、できたホットケーキを食べさせてもらったか否かは記憶にない。
ホットケーキと言えば、出不精の亡父だったが、さすがにわたしが小学時代はちょいちょい外食に連れて行ってくれて、いくつかの行きつけのレストランが、そこで食べるホットケーキは実に美味しかった。
表面は香ばしくサクッと歯応えがあるように焼かれているが、内部はしっとりである。
ナイフで大まかな碁盤目状に切れ目を入れ、バターとシロップを載せると焼き立てだからすぐに浸透していく。
その味のハーモニーが絶妙なのだ。
近年はそのようなホットケーキを焼く店に足を運んだことがない。
あの美味しさは今でも健在なのだろうか。

親子連れで行ったレストランでよく食べたものは、やはりお子様ランチ、オムライス、ミモザサラダ、そして中華風の料理を提供する店で「ウズラ卵の煮つけ」というメニューがあり、わたしはそれをよく注文した。
これも子ども時代限定で食べたものだからその調理法などを詳しくは説明できないが、基本的に「衣をつけて軽く天ぷらのようにしたウズラ卵」が野菜などとともに煮つけた中華餡の中に入っているものだった。
高知にも寿司屋がないわけではないが、わたしの子ども時代、寿司屋に行った記憶は一切ない。
おそらく行ったことなかったのだろう。
だからいまだに、「寿司屋」といってもピンと来ない。
小学時代一番仲よくしていた友人の家で、その子の親は何やら商業関係だったが、彼が親に対して、「今日は寿司を食べに行こう。一万円用意しちょって!」などとあっさり言うのを聞いて驚いたことがある。
小遣いがせいぜい「50円」ほどだったわたしにとって、(一回の食事に1万円とは、どうしたことだ!)という驚きだった。
わたしの両親は公立学校の教員であり、「企業」と言ってもほとんどが中小(あるいは「小」)である高知県民の給与レベルとしては平均より上だったのだろうけれど、家庭内で「万」という単位の金額を耳にすることはなかったので、(ああ、こんな世界もあるのか)という驚きだった。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、椎を」篇。2018年2月9日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、椎を」篇。

「猫、椎を」

椎の木の時代とは
ある時椎の実を
食べていた時代
思い出したかい?

・・・・・・

ぼくの素敵なネコは
あの椎の味を
知っているだろうか?

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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