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●〈「言葉」による革命〉・・・「このままの言葉」では、日本社会は発狂してしまいます。2018年2月25日 [「言葉」による革命]

※2018年3月2日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「このままの言葉」では、日本社会は発狂してしまいます。

Yahooニュースのコメント欄などは最たるものだし、その他いろいろな匿名コメント欄・掲示板などで見かける愚劣で薄汚い言葉の数々の中に「今の日本人の実像」のかなり大きな一面を観察することができます。
その中身はまったくないけれど、ただ「読む人を傷つけたい」、しかし「自分は完全に安全地帯にいる」という無責任にして愚劣な言葉の無限とも感じさせる巨大にして陰惨な増殖を放置しておいて、日本の社会がいつまで正気を保っていられるか・・・それは既に極めておぼつかないものになってはいないでしょうか。

「このまま」にしておいてはいけません。

(続きは、有料メルマガでお願いします)


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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年2月25日 [愛の景色]

わたしにはその閃光が、
どこにいても見えるんだ

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ヘルツォーク『カスパー・ハウザーの謎』とカスパー・ハウザー事件の事実」。2018年2月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ヘルツォーク『カスパー・ハウザーの謎』とカスパー・ハウザー事件の事実」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

1800年代のドイツで起こった「カスパー・ハウザー事件」は、世界史上でも屈指の「謎」として現代にまで語り継がれています。
その事件を「映画史上の謎」と言っても過言ではないドイツのヴェルナー・ヘルツォークが映画化しているとあれば、映画ファンも歴史ファンも「必見」であるのは当然ですが、なかなか鑑賞機会がなく、わたしはこの1974年にリリースされた作品を2017年に初鑑賞しました。
馴染みの俳優も出演してない110分弱、しかし予想以上におもしろく、時間を感じさせなかった。
1828年、ニュルンベルクに突如として現れた謎の少年カスパー・ハウザーは1833年に暗殺される。
ヘルツォークはその課程をかなり克明に、時に大胆な省略も加えながら、力強く描写していく。
ガチャガチャした演出の多い昨今、この図太いシンプルさがとても心地よく鑑賞できる。

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●小学時代の「夢精」と「自慰行為」とは?そして「好きな女の子」の時代。 [「言葉」による革命]

●小学時代の「夢精」と「自慰行為」とは?そして「好きな女の子」の時代。

末尾ルコ「エロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

小学時代はわたし正直なところ、「女性とセックス」なんていう具体的イメージはまったくなかった。過程でそんな話はしないし、学校で性教育があったかどうかも記憶にない。
男子よりも圧倒的に女子と遊ぶ機会の多いタイプではあったが、(この娘たちの誰かといつかセックスする)といったイメージを抱いてはいなかった・・・と思う。
「夢精」が始まったのは小学高学年だった。
「夢精」についても、誰からも習った記憶がない。しかしこれもわたしが覚えてないだけかもしれない。よく覚えているのは、初めての「夢精」の時、(寝小便をしてしまったのか・・・)と思ったことだ。その後自然と自慰をするようになったが、最初の1~3回目の自慰の恐るべき快感は、間違いなく初めてのセックスの時のそれより上回る。思うに、「セックスの快感」というものは、異論もあろうけれど、結局は「密接な感情の交換」であって、遊戯的セックスにはそれなりの快感がもちろんあるのだけれど、「最高度に密接な感情の交換」には及ばないとわたしは考える。
そして人生の中で、「最高度に密接な感情の交換」が可能な相手に巡り合うチャンスはそうそう訪れるものでなく、とてつもなく困難であるからこそ、わたしたちの魂は「それ」を求め続けているのだろう。

保育園から小学卒業まで、わたしは一人の女の子をずっと好きだった。
そう書くと、「子どもながら、なんと殊勝な純愛末尾ルコなのか!」とお褒めに預かれそうだが、話はそれほど単純ではない。
要するに、ほぼ9年間、わたしが「一人の女の子をずっと好きだった」のは事実だけれど、その期間、他に少なくとも4~5人は「好きな女の子」がいたのである。
まあ子どもだから、そんなものかもしれないし、わたしは小学卒業まで、具体的に「女子と付き合う」という発想がなかったため、誰とも付き合うことはなかった。
「ずっと好きだった女の子」はわたしの中で何だったのだろうと今でも時に思い出して考えることがある。
その娘はぱっちりとした目だったが、吊り目気味だったこともあり、よく「キツネ」と呼ばれていた。
が、脚は女子の中で一番早く、聡明な性格も相俟って、常に人気はトップクラスだった。
間違いなくわたしに対して気があったけれど、小学生のわたしには、「つきあってヨ」なんて言葉を口に出すのは不可能だった。

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「密度」篇。2018年2月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「密度」篇。

「密度」

そして海は
時間と繋がっている
時間の中の
密度をぼくは
操ってみよう

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです。)

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