山田姉妹へのメッセージ「愛」 [「言葉」による革命]
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
今、聴いているのです。
幸せです。
涙がこみ上げてきます。
なぜならば、美しいからなのです。
その美しさはもちろん
お二人の圧倒的歌唱ポテンシャル、
そしてセンス・オブ・ビューティ、
凄まじい技術・・・しかし
それだけではないのです。
やはりその芯は、
お二人の心、
歌を音楽を愛する心、
そして人生を愛する心
そこから来ているのだと、
こうしてセカンドを聴きながら、
明確に理解できました。
今後もできる限りの応援をさせていただきます。RUKO
・・・・・・
3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!
山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224
今、聴いているのです。
幸せです。
涙がこみ上げてきます。
なぜならば、美しいからなのです。
その美しさはもちろん
お二人の圧倒的歌唱ポテンシャル、
そしてセンス・オブ・ビューティ、
凄まじい技術・・・しかし
それだけではないのです。
やはりその芯は、
お二人の心、
歌を音楽を愛する心、
そして人生を愛する心
そこから来ているのだと、
こうしてセカンドを聴きながら、
明確に理解できました。
今後もできる限りの応援をさせていただきます。RUKO
・・・・・・
3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!
山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224
山田姉妹へのメッセージ「可愛い!」 [「言葉」による革命]
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
映像スタート時に、お二人がお口を開けてらっしゃる状態になっているのがとても可愛いです♡
可愛くて、華やかで麗しい!ま、いつもそうなのですけどね。
もう待ち遠しくて、深夜だというのにシャドーボクシングしたい気分です(笑)。 RUKO
・・・・・・
3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!
山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224
映像スタート時に、お二人がお口を開けてらっしゃる状態になっているのがとても可愛いです♡
可愛くて、華やかで麗しい!ま、いつもそうなのですけどね。
もう待ち遠しくて、深夜だというのにシャドーボクシングしたい気分です(笑)。 RUKO
・・・・・・
3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!
山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224
●なんだかんだで感動的シーンも多かった2018年米アカデミー賞と、「死ぬほど退屈な日本の(多くの)セレモニー」について。 [「言葉」による革命]
●なんだかんだで感動的シーンも多かった2018年米アカデミー賞と、「死ぬほど退屈な日本の(多くの)セレモニー」について。
末尾ルコ「映画と日本文化論の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
2018年米アカデミー賞で最も驚いたのが、
作品賞発表のプレゼンターが、
ウォーレン・ベイティと
フェイ・ダナウエィだったことだ。
映画ファンならばすぐお分かりだろうが、この二人は前年の作品賞プレゼンターとしても登場し、「歴史的誤発表」をしてしまったコンビである。
そう。前年の作品賞は結局『ムーンライト』だったのだが、『ラ・ラ・ランド』と発表してしまったわけだ。
結局これはウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィのミスではなく、「間違った封筒を渡されてしまった」ことが原因だったのだけれど、生中継を観ていたわたしは、(何やってんだ、ウォーレン・ベイティは!)とまず感じた。
ふざけたのか、あるいは少しおボケになってしまったのかと・・・特にわたしは『ラ・ラ・ランド』を応援していただけに、(こんなことがあっていいのか!)と、それこそSF映画でも観ているような不条理感を味わったものである。
そのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィを翌年また作品賞プレゼンターとして登壇させるとは、「アカデミー賞、やはり凄い!」とあらためて感じた。
今年のオスカーはノミネート作品や俳優たちの顔ぶれが比較的地味だなと思っていたけれど、観ればやはりいくつもの素晴らしいシーンに出合うものである。
2018オスカーの話は今後も続けるが、別に比べるわけではないけれど、2018年日本アカデミー賞についてまた触れてみよう。
いや、決して米アカデミー賞と比べてはいけません。
米アカデミー賞は、「受賞セレモニー」としては、常に「世界最高峰」であり、音楽の世界で最高峰とされるグラミー賞と比べっても、その社会的インパクトや盛り上がりは圧倒している。
で、ぜんぜん比べるわけではないが(笑)、日本アカデミー賞なのだけれど、なんだかんだで続けてきただけの「権威・価値」はできてきているのは明らかなのだが、何とも言えない会場の「寒い雰囲気」ね、これはどうにかならないかなあと。
セレモニー中、たま~に「笑い」が起こることもあるが、その基調は「しら~~~っ」として雰囲気である。
受賞者の中にはジョークの一つも飛ばしたい人もいるだろうに、受賞スピーチでとてもギャグなど言える雰囲気はない(たま~に言う人もいるけれど)。
しかしこれって、日本アカデミー賞だけでなく、日本の津々浦々にまで国民性として浸透しているのではないか、「寒過ぎるセレモニー」というものが。
だからわたしはいかなるセレモニーも出席を躊躇するのである。
とにかく「死ぬほど退屈な時間」であることが多いわけだから。
例えば甥の結婚式に当時の高知県副知事が来ていて、その10分前後のスピーチを、「3時間以上の砂を噛むような時間」に感じてしまったなんてこともあったなあ、と。
末尾ルコ「映画と日本文化論の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
2018年米アカデミー賞で最も驚いたのが、
作品賞発表のプレゼンターが、
ウォーレン・ベイティと
フェイ・ダナウエィだったことだ。
映画ファンならばすぐお分かりだろうが、この二人は前年の作品賞プレゼンターとしても登場し、「歴史的誤発表」をしてしまったコンビである。
そう。前年の作品賞は結局『ムーンライト』だったのだが、『ラ・ラ・ランド』と発表してしまったわけだ。
結局これはウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィのミスではなく、「間違った封筒を渡されてしまった」ことが原因だったのだけれど、生中継を観ていたわたしは、(何やってんだ、ウォーレン・ベイティは!)とまず感じた。
ふざけたのか、あるいは少しおボケになってしまったのかと・・・特にわたしは『ラ・ラ・ランド』を応援していただけに、(こんなことがあっていいのか!)と、それこそSF映画でも観ているような不条理感を味わったものである。
そのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィを翌年また作品賞プレゼンターとして登壇させるとは、「アカデミー賞、やはり凄い!」とあらためて感じた。
今年のオスカーはノミネート作品や俳優たちの顔ぶれが比較的地味だなと思っていたけれど、観ればやはりいくつもの素晴らしいシーンに出合うものである。
2018オスカーの話は今後も続けるが、別に比べるわけではないけれど、2018年日本アカデミー賞についてまた触れてみよう。
いや、決して米アカデミー賞と比べてはいけません。
米アカデミー賞は、「受賞セレモニー」としては、常に「世界最高峰」であり、音楽の世界で最高峰とされるグラミー賞と比べっても、その社会的インパクトや盛り上がりは圧倒している。
で、ぜんぜん比べるわけではないが(笑)、日本アカデミー賞なのだけれど、なんだかんだで続けてきただけの「権威・価値」はできてきているのは明らかなのだが、何とも言えない会場の「寒い雰囲気」ね、これはどうにかならないかなあと。
セレモニー中、たま~に「笑い」が起こることもあるが、その基調は「しら~~~っ」として雰囲気である。
受賞者の中にはジョークの一つも飛ばしたい人もいるだろうに、受賞スピーチでとてもギャグなど言える雰囲気はない(たま~に言う人もいるけれど)。
しかしこれって、日本アカデミー賞だけでなく、日本の津々浦々にまで国民性として浸透しているのではないか、「寒過ぎるセレモニー」というものが。
だからわたしはいかなるセレモニーも出席を躊躇するのである。
とにかく「死ぬほど退屈な時間」であることが多いわけだから。
例えば甥の結婚式に当時の高知県副知事が来ていて、その10分前後のスピーチを、「3時間以上の砂を噛むような時間」に感じてしまったなんてこともあったなあ、と。