●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「貧しい言語空間」は、計り知れないほど人間を、社会を害している!2018年3月23日 [「言葉」による革命]
●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「貧しい言語空間」は、計り知れないほど人間を、社会を害している!2018年3月23日
※2018年3月26日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「貧しい言語空間」は、計り知れないほど人間を、社会を害している!
このところ、「極めて重大な、言語空間に関するお話」をしています。
前回は、
「貧しい言語空間とは、貧しい言語運用者が恒常的に言語を発生させている空間」
という「一つの定義」を披露しました。
そして、「言語運用」の「優劣」あるいは「豊かであるか・貧しいか」の大まかな判断として、「2通りの要素」を提示しました。
ご記憶でしょうか?
で、あなたはどうでしょう?
客観的にご自分を見て、「豊かな言語空間の創造者」か?それとも「貧しい言語空間の創造者」か?
ぜひ「客観的に」ご自分を振り返り、「判定」してみてください。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
※2018年3月26日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「貧しい言語空間」は、計り知れないほど人間を、社会を害している!
このところ、「極めて重大な、言語空間に関するお話」をしています。
前回は、
「貧しい言語空間とは、貧しい言語運用者が恒常的に言語を発生させている空間」
という「一つの定義」を披露しました。
そして、「言語運用」の「優劣」あるいは「豊かであるか・貧しいか」の大まかな判断として、「2通りの要素」を提示しました。
ご記憶でしょうか?
で、あなたはどうでしょう?
客観的にご自分を見て、「豊かな言語空間の創造者」か?それとも「貧しい言語空間の創造者」か?
ぜひ「客観的に」ご自分を振り返り、「判定」してみてください。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●山田姉妹へのメッセージ「祈り」 [「言葉」による革命]
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
よきコンサート、よき時間だったようですね。本当に嬉しいことです。3月11日に広島でご歌唱されたこと、お客様方にとっても生涯の宝物となるに違いありません。そしてお二人のご歌唱は、いつだって「祈り」。わたしはそれをずっと信じております。今夜はゆっくりとお休みくださいませね。RUKO
よきコンサート、よき時間だったようですね。本当に嬉しいことです。3月11日に広島でご歌唱されたこと、お客様方にとっても生涯の宝物となるに違いありません。そしてお二人のご歌唱は、いつだって「祈り」。わたしはそれをずっと信じております。今夜はゆっくりとお休みくださいませね。RUKO
●「最高におもしろい(エキサイティングな)プロレスとは何か?」~初めて観たブッチャーが、16文キックで倒れなかった映像。 [「言葉」による革命]
●「最高におもしろい(エキサイティングな)プロレスとは何か?」~初めて観たブッチャーが、16文キックで倒れなかった映像。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
全日本プロレスが設立されてからかなり経ってからプロレスファンになったわたしにとって、プロレス本からの知識として知っているレスラー、知識として知っている技などは数多くあっても、実際には動く映像として観たことないものが多く、「凄く観たい→でも観る術がない」という状態はひたすら憧れと飢餓感を募らせる精神状態を生んだものだ。
実際は、「憧れのレスラー、憧れの技」などはとうにロートル化していたのが実情なのだけれど、プロレスメディアはそう簡単には、「このレスラーもすっかり衰えましたねえ~」などとは言わないものだから、高知在住の情弱プロレス少年だったわたしは、「もう来ぬ人を待ち続ける」という演歌の歌詞のような状態だったと、今となってはよく分かる。
それにしても、「プロレスが一番おもしろかった・エキサイティングだったのはいつだろう」という問いに対して、もちろん「今のプロレス」が好きな人たちは、「今」と答えるのだろうけれど、わたしはもちろんそうは答えない。
一番(おもしろい!)と感じたのは、初めてのテレビ観戦の時かもしれない。
放送カードは覚えてないが、(世の中に、これほどまでにおもしろいものがあったのか!)と興奮した記憶は鮮明だ。
しかしその後どんな試合を観て、どのような感想を持ったかと言えば・・・そうそう、やはり『オープン選手権』は盛り上がった。
あ、それと、アブドーラ・ザ・ブッチャーを初めて観た時。
「初めてのブッチャー」・・・そのどこに驚きのインパクトがあったのか?
答えはとてもシンプル。
「馬場の16文キックで倒れない!」のである。
普通どんな外国人レスラーでも馬場の16文キックでは吹っ飛びながら倒れるのである。
中でも70年代から80年代にかけての「最も優れたプロレスラー」の一人として米国のファンからもいまだ敬意を集めるハーリー・レイスの華麗な「16文倒れ」はいまだ語り継がれ続ける、時代の風物詩である。
しかしもちろんハーリー・レイスは超一流ランクであるから、16文一発でフォールされることはない。
16文一発でフォールされるのは概ね「雑魚レスラー」である。
メイン級のレスラーは16文一発でフォールされることはないが、ぶっ飛ばされながら倒れはする。
その「倒れ方」も全日本プロレスマットに登場するレスラーとしての重要なクオリティなのだが、ブッチャーは倒れないのである。
いや、決して「絶対倒れない」わけではない。
試合展開によっては倒れていた。
そして現在いくつかの動画を確認してみれば、けっこう倒れている(笑)。
しかしわたしにとって、初めてブッチャーの試合を観た時の、「16文で倒れなかった」その姿がとても重要なのである。
その鮮やかな映像が。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
全日本プロレスが設立されてからかなり経ってからプロレスファンになったわたしにとって、プロレス本からの知識として知っているレスラー、知識として知っている技などは数多くあっても、実際には動く映像として観たことないものが多く、「凄く観たい→でも観る術がない」という状態はひたすら憧れと飢餓感を募らせる精神状態を生んだものだ。
実際は、「憧れのレスラー、憧れの技」などはとうにロートル化していたのが実情なのだけれど、プロレスメディアはそう簡単には、「このレスラーもすっかり衰えましたねえ~」などとは言わないものだから、高知在住の情弱プロレス少年だったわたしは、「もう来ぬ人を待ち続ける」という演歌の歌詞のような状態だったと、今となってはよく分かる。
それにしても、「プロレスが一番おもしろかった・エキサイティングだったのはいつだろう」という問いに対して、もちろん「今のプロレス」が好きな人たちは、「今」と答えるのだろうけれど、わたしはもちろんそうは答えない。
一番(おもしろい!)と感じたのは、初めてのテレビ観戦の時かもしれない。
放送カードは覚えてないが、(世の中に、これほどまでにおもしろいものがあったのか!)と興奮した記憶は鮮明だ。
しかしその後どんな試合を観て、どのような感想を持ったかと言えば・・・そうそう、やはり『オープン選手権』は盛り上がった。
あ、それと、アブドーラ・ザ・ブッチャーを初めて観た時。
「初めてのブッチャー」・・・そのどこに驚きのインパクトがあったのか?
答えはとてもシンプル。
「馬場の16文キックで倒れない!」のである。
普通どんな外国人レスラーでも馬場の16文キックでは吹っ飛びながら倒れるのである。
中でも70年代から80年代にかけての「最も優れたプロレスラー」の一人として米国のファンからもいまだ敬意を集めるハーリー・レイスの華麗な「16文倒れ」はいまだ語り継がれ続ける、時代の風物詩である。
しかしもちろんハーリー・レイスは超一流ランクであるから、16文一発でフォールされることはない。
16文一発でフォールされるのは概ね「雑魚レスラー」である。
メイン級のレスラーは16文一発でフォールされることはないが、ぶっ飛ばされながら倒れはする。
その「倒れ方」も全日本プロレスマットに登場するレスラーとしての重要なクオリティなのだが、ブッチャーは倒れないのである。
いや、決して「絶対倒れない」わけではない。
試合展開によっては倒れていた。
そして現在いくつかの動画を確認してみれば、けっこう倒れている(笑)。
しかしわたしにとって、初めてブッチャーの試合を観た時の、「16文で倒れなかった」その姿がとても重要なのである。
その鮮やかな映像が。