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●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「馴染みでない人との会話」と「意識する言葉」のエクササイズ方法。2018年5月2日 [「言葉」による革命]

※2018年5月12日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「馴染みでない人との会話」と「意識する言葉」のエクササイズ方法。

「馴染みでない人との会話」、実践してますか?
いつもお話しているのですが、多くのことは「意識して実践する」ことで、それまでになかった向上・進歩を始めるものです。
スポーツや身体エクササイズにおいても同様で、「漫然とやってしまった素振り100本」と「一本一本、課題を意識しながらやった「素振り100本」ではまったく違った結果が生まれるものです。
筋肉トレーニングにしても、「どこを鍛えているか意識する」ことでその効果はグッと上がると専門家たちがそう主張しています。
そして、これは「心・精神・脳」を使う分野でも同じことなのです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年5月2日 [愛の景色]

あなた以上に
相応しい人は
いないのです

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●末尾ルコ選定、取り敢えずの「西部劇映画傑作トップ6」 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ選定、取り敢えずの「西部劇映画傑作トップ6」

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

この春は西部劇『シェーン』を再発見したことがわたしにとって大きな出来事の一つだったが、日本における時代劇と同様に、米国でも西部劇映画の製作は極めて少なくなっている。
それだけに近年に作られた西部劇には「凄いもの」が少なくないが、取り敢えずわたしの頭にすぐ浮かぶ「凄い西部劇」を挙げてみよう。
『シェーン』
『荒野の決闘』
『真昼の決闘』
『明日に向かって撃て』
『許されざる者』
『トゥルー・グリット』

問答無用の傑作ばかりで、「掘り出し物」的な作品が入ってないのだが、「凄いものは凄い」のである。


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●山田姉妹へのメッセージ「パワー!」 [「言葉」による革命]

●山田姉妹へのメッセージ「パワー!」

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

お疲れ様です!山田邦子さんも「三姉妹」と言っていたような(笑)。最近ご姉妹が増えてきましたね(笑)。それもすべてお二人のパワーと美、そして魔術的創造力のたまものです。もちろんいくらご姉妹が増えてきたとしても(笑)、わたしにとって「現代のミューズ 山田姉妹」はお二人だけです!RUKO

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●吉永小百合の「最も美しい年代」は?あるいは「子犬、リス的」十代。 [「言葉」による革命]

●吉永小百合の「最も美しい年代」は?あるいは「子犬、リス的」十代。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

吉永小百合は1945年生まれで、『伊豆の踊子』は1963年公開の映画だから、10代後半ということになる。
伝説的作品『キューポラのある街』はその1年前の1962年だ。
要するに、十代で映画スターとして頂点まで上り詰めたまま、平成30年の現在まで50年以上、その座を脅かす者さえ現れていないという凄い女優なのである。
ところでこれはわたしの感じなのだが、『キューポラのある街』を観ても、『伊豆の踊子』を観ても、要するに10代の吉永小百合からは、「動物的」な印象受けるのだ。
10代であるから、じっくりと人間的深みを出すのは難しいとしても、他の十代の女優にはそうそう見られない「動物的」印象である。
つまり、常にハイテンションで喋り、動き、表情はある程度固定されたまま、90分程度の映画の中で、有無を言わさず一気に見せてしまう。
もちろん「動物」と言っても、河馬や水牛などではなく、「子犬」とか、「栗鼠」とか、そんな感じだ。
決して、「猫」タイプではない。
おそらくわたしが当時もし同年代の男としてリアルタイムで吉永小百合を観ていても、特にファンにはならなかっただろう。
正直、観ていて少々疲れるのである。
『伊豆の踊子』にはゲスト出演的に浜田光夫も出演していたが、これまた短い時間になかなかのハイテンションである。
そして別に二枚目でもなければ、カッコよくもない。
『伊豆の踊子』で吉永小百合の相手役を務めているのは若き日の高橋英樹だが、その美男子ぶりと比べると浜田光夫、「その辺のあんちゃん」である。
そこが若き日のハイテンション吉永小百合の相手役として相応しかったのだろうが、吉永が中年期から高齢期の現在にかけても「唯一無二のトップ女優」として君臨し続けているのに比べ、フェイドアウトしていったのも致し方ないところだったのだろう。
わたしが子どもの頃に石橋正次目当てで観ていた『アイアンキング』の同じく主演格で出ていた浜田光夫だが、その時点で「かつて吉永小百合の相手役青春スター」だった面影はなかった。

では吉永小百合が最も美しかったのはいつ頃かと考えれば、やはり30代から40代ではないだろうか。
いや、もちろん「吉永小百合は現在を含め、どの時代も美しい」という前提での話だけれど、例えば、1978年の『皇帝のいない八月』を観ても、(こりゃあ、最高だわ)という美しさがある。


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