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●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「学校で不可能な教育効果」を実現するのが〈「言葉」による革命〉です。2018年5月11日 [「言葉」による革命]

※2018年5月28日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「学校で不可能な教育効果」を実現するのが〈「言葉」による革命〉です。


普通日本人は義務教育として最低限九年間学校教育を受けます。七歳から一五歳まで、一人の人間の人格形成にとって極めて重要な時期の多くの時間を学校という教育機関で過ごすのです。

しかしどうでしょう。
それだけの価値、効果が従来からの、そして現状の義務教育にありますか?

わたしの観察では、「ほとんどない」です。

もちろん生徒たちの中には十分な義務教育を得た人たちもいます。
しかしそれらは幸運な少数派であり、しかも「学校以外の要素」が大きく左右しているのですね。
9年間も学校に通い、「幸運」や「学校以外の要素」に期待しなければならない状況では、多くの生徒たちにとって、「時間の無駄」となっていると言わざるを得ません。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年5月11日 [愛の景色]

なので、
あらゆる波動を乗せて、
あなたに
語る


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●山田姉妹へのメッセージ「愛」 [「言葉」による革命]

●山田姉妹へのメッセージ「愛」

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

あの日の「みずいろの手紙」はわたしの人生を変えました。明日を前に詩を捧げます。「題 愛と歌」やはり、「愛」の存在。歌を愛し、歌を響かせる大気を、歌を生み出す大気のおののきをも愛する二人のミューズ。いつしか「歌」に愛され、「歌」を待ちわびていた人々に愛される節理。By末尾ルコ RUKO


例えば、バーバラ・ヘンドリックスの歌唱を聴いたり、ナタリー・デセイの歌唱を聴いたりすると、もちろん感動し、(凄い!)と思います。
しかしお二人のご歌唱は彼女たち世界の超一流ソプラノたちの感動とも違いますし、ジョニ・ミッチェルやアデルを聴くときの感動とも違うのです。
お二人にだけが創り出すことができる芸術を聴かせていただける時間でしかありえない感動なのです。
お二人の持っているのはもちろんアカデミックな最高技術。
しかしそのアカデミズムを包み込むほどの情感とPASSION・・・そして何と言っても

「愛」だと思うのです。RUKO

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●「耳の孔が痒い」についての小さなエッセイ&「櫻井・有吉THE夜会」にも登場、「オーラの色で性格判断」なんてインチキでしょう。 [「言葉」による革命]

●「耳の孔が痒い」についての小さなエッセイ&「櫻井・有吉THE夜会」にも登場、「オーラの色で性格判断」なんてインチキでしょう。

末尾ルコ「身体トラブルと超常現象の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「非常に厳しい状況」というものは毎日の生活の中、もっと言えば、人生の中で無数にあるけれど、例えば次のような状況もその一つに入るのではないか。

「耳の孔の中が痒いのに耳かきがない状況」

「痒い」というのは常に「厳しい状況」になりえるのだけれど、「耳の孔」の痒みはまた格別だ。
「痒さ」に独特の切迫感がある場合が多く、ある程度の深さ居場所の痒みであれば、指ではかけない。
だからこそご理解いただけるだろう、「耳の孔の中が痒いのに耳かきがない状況」がいかに厳しい状況であるかということを。
「耳の痒さ」に切迫感がある場合はもういてもたってもいられなくなる。
別にすぐにかかなければ死ぬというわけではないのに、その「痒さ」に座ってはいられない。
そんな時、耳かきがなかったら・・・。
しかも「耳の痒さ」の場合、かいた時の心地よさは「恍惚境」と表現しても差し支えないだろう。
「うくっ・・・」と声が出る。
「あふうっ」と声が出る。
「こと」が済めば、「ふうう・・・」と心底の満足のため息をつくことになる・・・。

「痒い」という厳しい状況は、常に「かけば、心地いい」という方程式が成り立っているので厄介だ。
さらに言えば、「書けば、心地いい。けれどかき過ぎると悪化する」という方程式も。

話変わって、4月某日、TBS「櫻井・有吉THE夜会 ~菅田将暉の今年一番忙しい日に完全密着!~」という番組を、菅田将暉推しで観たのだが、番組中、「スタッフの知り合いで、
オーラが見えるOL」という人物があらわれた。
その人物は顔や名前などを出さずの登場であるが、「人間のオーラの色が見える」と自称。
ゲストの菅田将暉を始め、出演者の「オーラの色」と、それら「色」に振り分けられた「性格判断」を次々とやっていたのだが、実に馬鹿馬鹿しい時間だった。

わたしは「オーラ」の存在自体は必ずしも否定しないが、それはあくまで「未知のもの」であり、「あのスターからは強いオーラを感じる」といった控え目な認識である。
それが、「すべての人のオーラの色が見えて、性格判断もできる」とかいう話になると、

「バカも休み休み言え!」

と思ってしまう。
そもそも「色付きのオーラ」自体の存在が怪しいのに、しかも「それが見える」なんて、「当人が言っているだけ」ではないか。
いわば、「いや~、昨日はタイムトリップで、フランス革命を見てきちゃったあ!」なんて言い出す人の話を鵜呑みにするのと変わらない。
さらに、「性格判断」までされて喜ぶとか・・・「いい加減に、しなしゃい!」の世界である。

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