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●『たかが世界の終わり』のあまりに贅沢な家族とは? [「言葉」による革命]

●『たかが世界の終わり』のあまりに贅沢な家族とは?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

グザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』は「家族の物語」で、映画はその家族の中だけで展開される。
母がいて、長男がいて、長男の妻がいて、次男がいて、次女がいる。
『たかが世界の終わり』はこの家族の中だけで展開される映画だ。
しかし、母はナタリー・バイであり、長男はヴァンサン・カッセルであり、長男の妻はマリオン・コティヤールであり、次男はガスパー・ウリエルであり、次女がレア・セドゥだ。
取り敢えず、映画史上最高に贅沢な「家族」の一つである。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月15日 [愛の景色]

あなたも
わたしも
いずれこの世界を
去る

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●山田姉妹へのメッセージ「漂う雨に」 [「言葉」による革命]

●山田姉妹へのメッセージ「漂う雨に」

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ハードにして充実の4日間、お疲れ様でございました!本日は散文的詩をお贈りします。

「風が吹くこともなく 
朝からずっと雨がそぼ降り
カフェの中からは目に映らないほどに漂う雨が
そんな世界にお二人の
ラヴェンダー色のトーンの歌が
響いているのが
確かに見えた」   by末尾ルコ RUKO


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●『闘魂最終章』感想~わたしは、アントニオ猪木のどこに感銘を受けたか? [「言葉」による革命]

●『闘魂最終章』感想~わたしは、アントニオ猪木のどこに感銘を受けたか?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『闘魂最終章』(双葉社 井上譲二著)を読んだ。
井上譲二の纏まった著作を読むのは初めてかもしれない。
井上譲二は『週刊ファイト』の編集長だったわけで、それ以前は同紙の記者だったのだから、山ほど彼の文章は読んでいることになる。
しかしわたしにとって『週刊ファイト』の編集長は、「I編集長」こと井上義啓であり、彼が引退した後誰が編集長だったか、ましてやどんな記者がいたかなど、まったく知らなかった。
このあたりにもかつてのわたしの注意力不足、興味の浅さがやや窺えてせつない(笑)。

『闘魂最終章』は井上譲二が『週刊大衆』に連載していた『アントニオ猪木55年目の「虚と実」』に加筆を加えて書籍化した作品だという。
『週刊大衆』か・・・と、ここでわたしは思い出す、同誌や『週刊宝石』などをちょいちょい読んでいた時期もあったなあ、と。
別のそうした雑誌の記事やグラビアに魅了されていたわけではない。
ま、ちょっと日本の裏世界についての知識もあってもいいかなあ・・・と、そんな感じではあった。
稀ではあったが、グラビアにいささか好みの女性の写真が載っていた時は、多少なりとも(くるしゅうない)気分になったことも少し告白しておこうか。

『闘魂最終章』の内容であるが、井上譲二の文章を纏めて呼んだのは初めてなので、新鮮味は十分あった。
『週刊大衆』へ連載していただけあって(笑)、改行も多くどんどん読み進む。
要するにざっくりとアントニオ猪木の歴史を振り返る内容なのであるけれど、時にやや乱暴に思えるほど歯切れよく明確な書き方をすする。
いまだプロレスについて、「非常に曖昧な書き方」をする書き手もいるのだけど、苦笑を生むだけだ。
もちろん「曖昧な部分」がプロレスのおもしろさだけれど、いまだに通常の試合に「勝負論あり」を思わせる書き方はいただけない。
『闘魂最終章』で最も印象的だった点が2つある。
それは、

・猪木は若い頃から特別にハードな練習をしていた。
・猪木は若い頃から「現在」まで、常に「プロレスを超えて自分を売り込む努力」をし続けている。

この2点はわたし自身、「分かっていたようでいて、忘れかけていたこと」であり、歯に衣着せぬ筆致の筆者が記しているだけに説得力があり、とても嬉しくなった。

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