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●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「日本の危機」を救うのは、「わたしたち」しかない!2018年6月20日 [「言葉」による革命]

※2018年7月14日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「日本の危機」を救うのは、「わたしたち」しかない!

はい。

「日本の危機」を救うのは、「わたしたち」しかない!

現在の日本が危機であるか否か、あるいは「危機」と言っても、どのような危機であり、どの程度の危機なのか?
人によって見方は様々だと思います。
中には、「日本は今でも世界トップクラスのいい国だ。これで危機なんて言うのは贅沢病のようなものだ」という考えもありますね。
曾野綾子などは以前からそのような言い方をしています。
そうした考えを「100%間違い」と言うつもりはありませんが、「100%正解」だとも考えません。
一つの国の状態を判断する基準はあまりに多様で、単純化して論ずるのは大変危険なことです。
例えば、「日本は女性の社会進出が著しく遅れている国」、つまり「根強い男尊女卑の国」という国際的定説がありますが、この説にも異論を唱える人たちは多くいます。
近年最も多い異論が、「そんなのは欧米の価値観じゃないか!」というもので、この異論の中にも一片程度の真実はあるのでしょうが、概ねは「幼児的な逆ギレ」だと思います。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月20日 [愛の景色]

まるで
生まれ変わったような気分だ
それはあなたのおかげ
生まれ変わった気分って
素晴らしい!

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●山田姉妹へのメッセージ「光と雲」 [「言葉」による革命]

●山田姉妹へのメッセージ「光と雲」

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

(この日、山田姉妹は海岸で寛ぐお写真をアップしておりました)

いろいろな形の雲が見えます。深い碧と翠が含まれた空の色が豊かです。光が差しています。バルトロメ・ムリーリョが描いた聖母マリアを包み込む光のようです。大地は豊饒な漆黒です。海のかなたは、まるで夢のような色をしています。そんな景観の中、お二人のミューズが愉しそうです。RUKO

見えない!何も見えない!!華様が美しく眩し過ぎて、梅もジャムもカーテンも、何も見えないいい!
・・・しかしここは冷静にならねばということで、自ら編み出した「冷静沈着ダンス」を踊ること1時間半・・・ようやく冷静になりました(笑)。

さて、このところとてもお忙しそうで、それはもちろん嬉しいことですが、お疲れにならないかと少し心配しておりました。
けれどこの数日、じっくりと英気を養われたご様子。お二人がお寛ぎになるご様子を拝見するのはとても嬉しいことです。
新しいプロジェクトにお取り組み中とのこと、今度はどのような芸術を堪能させていただけるのか、最大限に愉しみにしてお待ちしております。RUKO

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●末尾ルコ「昭和史」~個人的幼年期の記憶、そして高知県の文化・メディア状況。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「昭和史」~個人的幼年期の記憶、そして高知県の文化・メディア状況。

末尾ルコ「昭和史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」


わたしの在住地は高知でです。
そう、高知でででです。
時に東京へ行きます。
と言いますか、それは主にバレエ鑑賞、時に映画鑑賞のためにです。
ただ、ここ1~2年くらいは行ってません。
バレエ鑑賞時、劇場に対する不満が大いにあるのが一つと、まちょっと金欠病もありましてね・・・うふふふふう。
しかしまた行くようになるでしょう。
山田姉妹というミューズも東京中心に活動してますし、ずっと燻り続けていたわたしの「活動」も、この6月から7月にかけて、退路を断ってやります。

というようなお話はまたどんどんしていきますが、今回はわたしの幼年時代、住んでいたのはもちろん高知ですが、文化芸術を中心に、その置かれていた状況と言いますかメディアの状況も含めてお話ししてみます。
この場合の一つ大きなポイントは、「都市部と地方の大きな格差」です。

わたしがもの心ついた頃、わたしの家庭は3世代同居でして、父方の祖父母、父母、そして弟が暮らしていました。
わたしの父は高校教諭、母は小学校教諭で、祖父は、ちょっとわたしの記憶が曖昧なのですが、確か中学校の校長だったと思います。
祖母は慢性の難病に罹っていて既に仕事はしておらず、しかしまだわたしに習字を教えたりできる状態でした。
祖父母ともキリスト教プロテスタントの信者でして、しかし結局父母も孫もクリスチャンになることはありませんでした。
ただ、家の中にキリスト教関係の書籍やアイテムなどが普通に存在していたことは、わたしにとって「とてもよかった」と思っています。

当時高知のテレビは、NHKの2チャンネルと民放の2チャンネルだけでした。
民放は日本テレビ系とTBS系で、しかし他の民放の番組がまったく観られないわけではなく、おそらく人気番組に限っては、主に数か月以上遅れで、しかも「本来の放送時間」とはまったく異なる時間に放送されることがありました。
もちろんそうした放送局の事情について、子どものわたしは知らなかったですし、おそらく両親や祖父母も知らなかったはずです。

家の中にラジオも常にあったはずですが、わたしが聴き始めたのは小学校3~4年程度くらいからではなかったかと思います。
親もあまり聴いている様子はありませんでした。
小学高学年くらいから、ラジオで洋楽など音楽情報をどんどん摂取するようになるのですが、それ以前(この時期も記憶曖昧です)のラジオ番組で印象的なのは、確か『夜のミステリー』という番組名だったと思いますが、つまり「怪談」なのですね。
あれは怖かった。
怖いけれど、聴きたくなるのですね。

(つづく)


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