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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年3月18日 [愛の景色]

今こそ、
あなたとどれだけ重ね合わせることが
できるかという
挑戦と冒険と

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●我が母の命が・・・急遽心臓バイパス手術の開始。 [「言葉」による革命]

●我が最愛の最愛の母の命が・・・バイパス手術の開始。

末尾ルコ「母の話」

母の病状について皆様の多くのコメントに励まされているのですが、残念ながら昨日(3月17日)、物事は驚くほど「行ってほしくない」方向へ進みました。
まず朝、6時前に高知赤十字病院からの着信があり、すぐに出ることはできなかったのですがかけ直すと、「お母さんが今朝また、胸の痛みと息苦しさを訴えまして、再びICUの方へ移されました」という内容でした。
大きく動揺したわたしは車を病院へ走らせる。
着いた段階で、「手遅れでした」という可能性も心を過ります。
そこまでは至ってなかったですが、再び厳重な酸素マスクを装着され、目も閉じているし、胸は大きな息で上下している。
前夜の8時まで、いつも以上に元気に喋ったというのに。
その時のICUの担当医に「すぐにどうこうという状態じゃないんですか?」と尋ねると、「そりゃ、ぜんぜん、ぜんぜん」と軽く答える。
その言葉にやや安心はしたけれど、一旦家へ帰っても何も手をつけられない。
そうこうしているうちに携帯が鳴る。
「高知赤十字病院」という表示。
出ると、「担当の先生からお話がありますので、なるべく早く来られますか?」と打診。
急いで着替え、またしても病院へ。
母は酸素マスクの装着で目を開けることができず、話しかけても微かな反応しかない。
看護士に状態を尋ねると、「だいぶ安定してますよ」と言いはするのだが。
担当医はなかなか来ない。
結局40分ほど待っただろうか、ようやく循環器科の40歳くらいだろうか、男性医師が現れた。
そこでいろいろ説明されるのだが、結論としてカテーテル検査は不可避、状況によってバルーン、ステント、それらが不可能であれば、バイパス手術の可能性もあると言われる。
しかも「早い方がいい」ということで、「今から始める」と言う。
そうした治療の必要性に疑問を持っていたわたしだが、この日の朝からの母を見ていて、逡巡は不可能だと理解した。
午後1時からカテーテル検査が始まり、1時間くらい経っただろうか。
担当医の説明はわたしの予想よりもずっと悪いものだった。
「ひとことで言えば、重症です。冠動脈が4つとも狭くなっていて、風船やステントではまったく対応できません。これでよく心臓が動いているという感じです。外科医の先生に連絡を取ってこの画像を見てもらってバイパス手術をすぐに始めないといけません」
高齢者には負担の多いバイパス手術、しかも母はただでさえ体が弱い。
手術時間は6時間以上かかるのだという。

「日常」が反転する。
「母との日常」は、こんなにも急に帰って来なくなるのか。
あるいは帰ってくるのか。

(心臓バイパス手術は午後3時から午後9時半にまで至った。手術室から出てきた執刀医は、「予定通り4本バイパスできました」と言った。施術前は「できれば4本やりたいけど、血管の状態によって3本になるかもしれない」と言っていたので、「成功した」ということになるだろう。手術中の合併症もなかったようだ。麻酔が解けるのは19日くらいになりそうで、もし出血があれば、わたしに連絡したうえで止血すると語った)

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