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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年3月25日 [愛の景色]

「支える」とは何だろうね
「あなたを支えたい」もちろん

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●我が母、心臓バイパス手術後6日目、酸素マスクは外れたが、「深部体温」はどうなのだろうか~ある音楽バーのある女性が言っていた、「とてつもない困難の中の~」。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後6日目、酸素マスクは外れたが、「深部体温」はどうなのだろうか~ある音楽バーのある女性が言っていた、「とてつもない困難の中の~」。

末尾ルコ「母の話、ある女の話」


3月23日(土)

午後2時30分の面会。

酸素マスクが外れている。
つまり酸素を送っているものは鼻へのチューブのみとなっていた。
もちろん酸素マスク越しよりも話がしやすい。
表情もよく見えるし、マスクがない分表情もいろいろと変わる。
ドレーンがまだ外されてないのが不思議ではあるが、少なくとも徐々に「管」や「機器」は少なくなっている。

午後7時30分

ほぼ眠っている。寝言のような言葉を繰り返す。
母が使用させてもらっているベッドの頭の側に血圧や脈拍などを刻々と示すモニターが設置されているが、この夜に気になったのが体温だ。
体温と言っても普段わたしたちが測ることの多い脇の下ではなくて、「膀胱内の体温」を常にモニタリングしているのだという。
このいわゆる「膀胱温」などを「深部温度」と呼ぶことも今回初めて知ったが、この夜の母は38度に達することが多くなっていた。
とは言え前日まではこの数値をさほど気にしてなかったのでしっかりした比較はできないが、確かだいたい37.5度強だったのではなかろうか。
看護士に尋ねると、「38度くらいなら、術後はどうしてもこのくらい出ることもあり」と言うのであるが、当然ながらとても気になる。
(これ以上体温が上がったらどうしよう・・・)と不安は尽きない。
しかし前日まではなかったラジオがつけられていて、何やら「いきものがかり」の番組を放送していた。
夜の時間は睡眠薬が効いていることが多く、二日続けて母は夢うつつである。

・・・

そう言えばかつて、そう、もう15年以上前になるだろうか。
わたしがまだ進学塾教師だった頃、仕事が終わるのが夜11時半くらいなのだったけれど、その後すぐに高知市の某音楽バーへほとんど連日直行していた時期があった。(なんと、一切酒を飲まずに 笑)。
よくもまあそんな生活をしていたと今となっては呆れるが、まだ塾教師になりたてで周囲との折り合いがまったくつかずに、わたしは職場以外に「場所」を求めていたのだ。
まあそこへ集まるのは音楽関係、音楽好きが多かったのだが、同時に映画や小説、プロレスや格闘技も好きな人たちは当時もまだまだ多かった。
店には「ある女」がいて、当時は30を少し出たくらい。
その界隈へ出入りする人たちの一部から女教主のように崇められている女だった。
わたしも彼女を知った頃は(こんな凄い人がいるのか)とカルチャーショックを受けたものだが、頻繁に会話を交わしていくにつれて、その考えの中に受け入れ難い要素がかなりあることが分かり、結局のところ短い付き合いだった(男女の関係ではありません)。

ただその人が言っていたことの一つでこのところ思い出すエピソードがある。
彼女は両親に深い愛情を持っていたのだけれど、父上が脳の病気で倒れた。
生命の危機に見舞われ、救急措置を待っている最中、彼女は生まれて初めて心の底から祈り続けたという。
麻痺は残ったけれど、父上の命は助かった。
こうしたとてつもない困難の過程で、彼女は(こんな時に笑えるだろうか)と思い、試みていたのだという。
わたしは今、どうなのだろうか。

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