●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「幸福論」、それでは「わたしの幸福」とは? [「言葉」による革命]
※2019年4月15日配信 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「幸福論」、それでは「わたしの幸福」とは?
例えば今わたしの幸福は、
母の病状が少しでもよくなっていること
そして母と穏やかに会話できる時間
前からそうだったけれど、母が大きな手術を受けた今、その貴重さは何ものにも代え難い。
体力そのものが弱っている状態だから、「幸福な時間」の次に瞬間に、「驚くべき突発時」が起こることも珍しくない。
だからこそ、だからこそ、恐怖が裏側にくっついたままの幸福が貴重だ。
もちろんわたしはいつだって、気に入った本、気に入った映画や音楽を鑑賞している時間。この上ない幸福を感じる。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「幸福論」、それでは「わたしの幸福」とは?
例えば今わたしの幸福は、
母の病状が少しでもよくなっていること
そして母と穏やかに会話できる時間
前からそうだったけれど、母が大きな手術を受けた今、その貴重さは何ものにも代え難い。
体力そのものが弱っている状態だから、「幸福な時間」の次に瞬間に、「驚くべき突発時」が起こることも珍しくない。
だからこそ、だからこそ、恐怖が裏側にくっついたままの幸福が貴重だ。
もちろんわたしはいつだって、気に入った本、気に入った映画や音楽を鑑賞している時間。この上ない幸福を感じる。
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●我が母、心臓バイパス手術後闘病記24~25日目、一旦は外されていた1ℓ酸素鼻チューブを中心に、4月12日までの経過を振り返る。 [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後闘病記24~25日目、一旦は外されていた1ℓ酸素鼻チューブを中心に、4月12日までの経過を振り返る。
末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」
4月11日(木)手術後24日目
午後7時分の面会
鼻チューブ付いている。
昼間よりはすっきりと目が覚めており、普通の会話をしばしする。
顔色もすこぶるよい。
話している間に眠気が来たようで、目をつぶり、夢うつつという感じの話し方になる。
「夕食はけっこう食べた」と母は言うのだが、これはやや当てにならない証言だ。
しかし『テルミール ミニ』や普通のご飯などの変化により、食事時間に対しる嫌悪感は薄らいできつつある気がする。
現時点での大きな課題は、
・鼻チューブをいつ本格的に外せるか。(血中酸素濃度レベルがいつ安定するか)
・体力回復と、自力歩行がいつ可能になるか。
もちろんその他、様々な突発事などについても想定しておかねばならない。
4月12日(金)手術後25日目
午後12時20分の面会
やはり鼻チューブは付いている。
ちょうど昼食が済んだばかりで、看護士によれば「4割くらい食べたかな」。
まあわたしの見たところ、数日前までは1割も食べられない印象だったので、ましになってきたのだと思う。
特に『テルミール ミニ』さえ飲んでおれば、常に一定以上のカロリーと栄養は摂取できるはずだ。
車椅子へ座っていた母が「腰が痛い」と訴え始める。
もともと脚腰痛がかなり酷いのだが、例の「店頭事件」で頭部だけでなく、脚腰も打ってしまっていた、シップはしてもらっているが、簡単に治るものでもない。
さて、このところ酸素1ℓの鼻チューブがなかなか外れないのが気になるが、4月12日までの経過を簡単に振り返ってみよう。
3月17日(日)心臓バイパス手術(純金休)、そのままICUへ。
3月22日(金)口へのチューブが外れ、会話が可能となる。
3月23日(土)酸素マスクが外される。
3月24日(日)HCUへ移る。
3月25日(月)一般病棟へ。
3月26日(火)経口食事開始。車椅子から転倒も、大事に至らず。
3月30日(土)「寂しい」と騒ぎ、詰め所で一晩過ごす。
4月1日(月)夜、突如嘔吐。
4月2日(火)鼻の酸素チューブ外される。
4月3日(水)感染症により、専用の個室へ。4月5日(金)転倒し、頭部など打撲。CT検査では異常なし。
4月6日(土)めまいを訴え、またしてもCT検査。異常なしだが、めまい用の点滴2日間。
4月7日(日)鼻チューブ(酸素1ℓ)再開。「きんぴらミキサー」を口にして、嘔吐。
4月9日(火)昼には鼻チューブ外されていたが、夜には再開。
4月10日(水)「感染」が解除され、大部屋へ。午前中は鼻チューブ付けてなかったという証言もあるが、午後には装着。
そして、4月12日へ至っている。
こうして見ると、鼻チューブが外された翌日の4月3日に感染が発覚して個室へ移り、その後頭部打撲やめまい、そして広い場所でのリハビリが不可能になったなど、そうしたことでかなり影響が出ているのは明らかだ。
末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」
4月11日(木)手術後24日目
午後7時分の面会
鼻チューブ付いている。
昼間よりはすっきりと目が覚めており、普通の会話をしばしする。
顔色もすこぶるよい。
話している間に眠気が来たようで、目をつぶり、夢うつつという感じの話し方になる。
「夕食はけっこう食べた」と母は言うのだが、これはやや当てにならない証言だ。
しかし『テルミール ミニ』や普通のご飯などの変化により、食事時間に対しる嫌悪感は薄らいできつつある気がする。
現時点での大きな課題は、
・鼻チューブをいつ本格的に外せるか。(血中酸素濃度レベルがいつ安定するか)
・体力回復と、自力歩行がいつ可能になるか。
もちろんその他、様々な突発事などについても想定しておかねばならない。
4月12日(金)手術後25日目
午後12時20分の面会
やはり鼻チューブは付いている。
ちょうど昼食が済んだばかりで、看護士によれば「4割くらい食べたかな」。
まあわたしの見たところ、数日前までは1割も食べられない印象だったので、ましになってきたのだと思う。
特に『テルミール ミニ』さえ飲んでおれば、常に一定以上のカロリーと栄養は摂取できるはずだ。
車椅子へ座っていた母が「腰が痛い」と訴え始める。
もともと脚腰痛がかなり酷いのだが、例の「店頭事件」で頭部だけでなく、脚腰も打ってしまっていた、シップはしてもらっているが、簡単に治るものでもない。
さて、このところ酸素1ℓの鼻チューブがなかなか外れないのが気になるが、4月12日までの経過を簡単に振り返ってみよう。
3月17日(日)心臓バイパス手術(純金休)、そのままICUへ。
3月22日(金)口へのチューブが外れ、会話が可能となる。
3月23日(土)酸素マスクが外される。
3月24日(日)HCUへ移る。
3月25日(月)一般病棟へ。
3月26日(火)経口食事開始。車椅子から転倒も、大事に至らず。
3月30日(土)「寂しい」と騒ぎ、詰め所で一晩過ごす。
4月1日(月)夜、突如嘔吐。
4月2日(火)鼻の酸素チューブ外される。
4月3日(水)感染症により、専用の個室へ。4月5日(金)転倒し、頭部など打撲。CT検査では異常なし。
4月6日(土)めまいを訴え、またしてもCT検査。異常なしだが、めまい用の点滴2日間。
4月7日(日)鼻チューブ(酸素1ℓ)再開。「きんぴらミキサー」を口にして、嘔吐。
4月9日(火)昼には鼻チューブ外されていたが、夜には再開。
4月10日(水)「感染」が解除され、大部屋へ。午前中は鼻チューブ付けてなかったという証言もあるが、午後には装着。
そして、4月12日へ至っている。
こうして見ると、鼻チューブが外された翌日の4月3日に感染が発覚して個室へ移り、その後頭部打撲やめまい、そして広い場所でのリハビリが不可能になったなど、そうしたことでかなり影響が出ているのは明らかだ。