●山田姉妹へのメッセージ「ラジオの神秘」 [「言葉」による革命]
●山田姉妹へのメッセージ「ラジオの神秘」
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を磨くレッスン」
※その後昨日(5月1日)、転倒などの事故はなく来ている。
(と書いたけれど、さらに観察していると、看護士も時に「おむつ交換」などをしているようだ)
やはりラジオはいいですね。自由度が高く、創造力を刺激してくれるラジオの魅力は、令和の時代にグッと再認評価されそうな気がします。こうしてお二人のお声、お話が空間の中に流れるだけで、熱烈な信奉者であるわたしは救われるような気がするのです。ヴィヴィッドなお写真を拝見できれば幸福感はいや増します。RUKO
ラジオって、お二人のお声が空間に流れる。けれどそのお声は目に見えない。目に見えないのにまるで目の前にお二人のお声が存在しているような気がする。できればお二人のお声を手のひらに載せて、いつまでも眺めていられればと、そんな空想さえしたくなるような、ラジオの素敵さ、そして詩的さですね。RUKO
●「言葉を語れ 美のように 戦士のように」
・・・・・・
山田姉妹『故郷 〜日本の愛唱歌Ⅰ』絶賛発売中!
山田姉妹『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』絶賛発売中!!!
山田姉妹の公式ブログ
https://ameblo.jp/karei1224/
山田姉妹の公式ツイッター
https://twitter.com/karei1224
山田姉妹『ふたつでひとつ ~心を繋ぐ、歌を継ぐ』インタビュー
http://www.billboard-japan.com/special/detail/2265
山田姉妹のあらゆる公演、あらゆる活動を徹底的に応援します!
http://t.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=D5210002
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「言葉」に関するあらゆることは、下記へご打診ください。 sueoruko?mail.goo.ne.jp (?を半角のアットマークに変えてください)
革命・芸術 末尾ルコ
▲原稿ご依頼受付中 つまらないライターばかりに書かせていては、あなたのメディアは結果的に社会を害していることになります。わたしにご依頼ください。一緒に社会をよき方向へ進めましょう。
▲〈「言葉」による革命〉に関する多様なレッスン、受付中。あなたも「言葉の戦士」として生き抜いてください。
直接レッスンは、現在は高知市のみ。
有料メルマガで格安にレッスン可能です。ぜひ、ご登録を!
少しでもご興味を持ってくだされば、気軽にご連絡ください。 末尾ルコ
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を磨くレッスン」
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やはりラジオはいいですね。自由度が高く、創造力を刺激してくれるラジオの魅力は、令和の時代にグッと再認評価されそうな気がします。こうしてお二人のお声、お話が空間の中に流れるだけで、熱烈な信奉者であるわたしは救われるような気がするのです。ヴィヴィッドなお写真を拝見できれば幸福感はいや増します。RUKO
ラジオって、お二人のお声が空間に流れる。けれどそのお声は目に見えない。目に見えないのにまるで目の前にお二人のお声が存在しているような気がする。できればお二人のお声を手のひらに載せて、いつまでも眺めていられればと、そんな空想さえしたくなるような、ラジオの素敵さ、そして詩的さですね。RUKO
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タグ:アート
●我が母、心臓バイパス手術後闘病記49日目、またしても転倒、数針縫う出血~24時間絶え間ないこの脅威にどう対していくべきか。 [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後闘病記49日目、またしても転倒、数針縫う出血~24時間絶え間ないこの脅威にどう対していくべきか。
末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」
5月7日(火)手術後49日目
転院14日目(←転院からの日数を間違えている記事があります。時間のある折に、訂正しておきます)
朝7時。
いつもすぐ傍に置いている携帯が鳴る。
表示は「A病院」。
事務的な要件であれば早朝にかけてこないはずだ。
電話に出る。
「報告なんですが、~さんが転倒してしまいまして・・・」
・・・もう何と言えば、どう考えればいいのだろうか。
前日あれほど何度も何度も何度も、「勝手にベッドから出てはならない」と繰り返したのに。
「報告」の内容は次の通り。
「午前5時くらいに転倒しているのを発見。頭を打っており、かなりの出血があった。医師によって数針縫って止血。CTを撮ったが、それでは異常なかった。今は普通に話をしている」
朝から病院へ足を運び、母の病室へ。
額に大きなガーゼ(のようなもの)を貼り付けられているて、本人は横になり目を覚ましている。
出血した部分を含め、「どこも痛くない」と言う。
担当の看護師、次に師長がやってきて、より詳しく状況を説明。
「午前5時くらいに、服に付けているセンサー(差し込みが外れると、ナースコールされる)とベッド柵の一角を外し、ベッドから出たところ転倒。大声で〈来て!〉などと叫んだので看護師が駆け付けると、仰向けに倒れ、かなり出血していた。出血量の多さは、ずっと血液をサラサラにする薬を服用している影響もあるだろう。転院後早くも二度目の転倒でたいへん申し訳ない。絶対に三度目はないように話し合って低策を立てる」
その場で既に立てられていた「対策」は、ベッドの一方の側面を壁に完全に沿わせ、もう一方の側面には同じくらいの長さのソファをあてがうというものだった。
確かにソファがあればワンクッションは置かれるけれど、ソファから床へ落ちることも考えられる。
わたし自身、母に尋ねてみた。
「あれだけ昨日言ったのに、どうしてまたこんなことをしたが?」
「なんか、その時はもっとできると思うた」
「自分で練習できると思うたが?」
「まあ、そう」
わたしの度重なる注意、そしてスタッフの注意を忘れたわけではなかろう。
覚えていても、(ひょっとしたらもうできるのでは)と、「かなり動けるようになった」段階で、勘違いしていしまっているのかもしれない。
二本のバーに頼りながらであれば、けっこうなスピードで往復できるようになったのだ。
しかしそれは当然ながら、「二本のバーあってのこと」なのだ。
この日の昼の段階では、張り替えられた額の大きな絆創膏は痛々しいけれど、どこか痛そうだという雰囲気はない。
入院中の転倒もこれで終われば、(あの時は大変だったねえ)といずれ笑って話せるだろうが、わたしの脳裏には(転倒で死亡)などという不安も現実味を持って生じてくる。
極端な話をすれば、わたしやスタッフが部屋にいない時間をすべて「拘束」しておれば、転倒の危険性は限りなくセロになる。
もちろん人道的にも、そして精神衛生上も、そのようなことはすべきでない、できないのは分かっている。
けれどあれだけ大きな心臓バイパス手術を乗り越え、「かなり動けるようになった」とまで言われるようになったのに、「転倒」というあまりに単純な脅威に24時間曝され続けている状況がどうにも歯痒いのだ。
(わたしとしても、どうにも気持ちの持って生きようがない状況だけれど、この日で入院後55日を経過している。リハビリは本格化しているとはいえ、〈動いてみたい〉という母の気持ちももっと理解せねばならない。)
末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」
5月7日(火)手術後49日目
転院14日目(←転院からの日数を間違えている記事があります。時間のある折に、訂正しておきます)
朝7時。
いつもすぐ傍に置いている携帯が鳴る。
表示は「A病院」。
事務的な要件であれば早朝にかけてこないはずだ。
電話に出る。
「報告なんですが、~さんが転倒してしまいまして・・・」
・・・もう何と言えば、どう考えればいいのだろうか。
前日あれほど何度も何度も何度も、「勝手にベッドから出てはならない」と繰り返したのに。
「報告」の内容は次の通り。
「午前5時くらいに転倒しているのを発見。頭を打っており、かなりの出血があった。医師によって数針縫って止血。CTを撮ったが、それでは異常なかった。今は普通に話をしている」
朝から病院へ足を運び、母の病室へ。
額に大きなガーゼ(のようなもの)を貼り付けられているて、本人は横になり目を覚ましている。
出血した部分を含め、「どこも痛くない」と言う。
担当の看護師、次に師長がやってきて、より詳しく状況を説明。
「午前5時くらいに、服に付けているセンサー(差し込みが外れると、ナースコールされる)とベッド柵の一角を外し、ベッドから出たところ転倒。大声で〈来て!〉などと叫んだので看護師が駆け付けると、仰向けに倒れ、かなり出血していた。出血量の多さは、ずっと血液をサラサラにする薬を服用している影響もあるだろう。転院後早くも二度目の転倒でたいへん申し訳ない。絶対に三度目はないように話し合って低策を立てる」
その場で既に立てられていた「対策」は、ベッドの一方の側面を壁に完全に沿わせ、もう一方の側面には同じくらいの長さのソファをあてがうというものだった。
確かにソファがあればワンクッションは置かれるけれど、ソファから床へ落ちることも考えられる。
わたし自身、母に尋ねてみた。
「あれだけ昨日言ったのに、どうしてまたこんなことをしたが?」
「なんか、その時はもっとできると思うた」
「自分で練習できると思うたが?」
「まあ、そう」
わたしの度重なる注意、そしてスタッフの注意を忘れたわけではなかろう。
覚えていても、(ひょっとしたらもうできるのでは)と、「かなり動けるようになった」段階で、勘違いしていしまっているのかもしれない。
二本のバーに頼りながらであれば、けっこうなスピードで往復できるようになったのだ。
しかしそれは当然ながら、「二本のバーあってのこと」なのだ。
この日の昼の段階では、張り替えられた額の大きな絆創膏は痛々しいけれど、どこか痛そうだという雰囲気はない。
入院中の転倒もこれで終われば、(あの時は大変だったねえ)といずれ笑って話せるだろうが、わたしの脳裏には(転倒で死亡)などという不安も現実味を持って生じてくる。
極端な話をすれば、わたしやスタッフが部屋にいない時間をすべて「拘束」しておれば、転倒の危険性は限りなくセロになる。
もちろん人道的にも、そして精神衛生上も、そのようなことはすべきでない、できないのは分かっている。
けれどあれだけ大きな心臓バイパス手術を乗り越え、「かなり動けるようになった」とまで言われるようになったのに、「転倒」というあまりに単純な脅威に24時間曝され続けている状況がどうにも歯痒いのだ。
(わたしとしても、どうにも気持ちの持って生きようがない状況だけれど、この日で入院後55日を経過している。リハビリは本格化しているとはいえ、〈動いてみたい〉という母の気持ちももっと理解せねばならない。)