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●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~大人は子どもに対して、「どんな人になりたいですか」と問うべきです。 [「言葉」による革命]

※2019年9月2日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~大人は子どもに対して、「どんな人になりたいですか」と問うべきです。

はい。
大切なことの復習をしましょうね。
子どもは大人を見て育ちます。
その過程で大人たち、そして大人の作って来た社会に対して反発することもありますが、どちらにしても「自分の見て来た大人たち」が一つの基準になります。
子どもたちに、(こんな大人になりたい)と憧れられる、目標にされる大人がどれくらいいるか。
そして子どもたちに「良きもの」を与えられている大人がどのくらいいるか。
子どもたちに与えられる「良きもの」が存在するのだとしたら、それはいったい「どのようなものか」と、真剣に思考できる大人がどれくらいいるか。

この前お話しましたね、大人が子どもに対してよくする質問、

「何になりたいか」

これはもう止めましょう・・・とは言いませんが、「二の次くらい」にしときましょう。

ではどのような質問を第一義とするか。

「どんな人になりたいか」でしたね。

(続きは、有料メルマガでお願いします)


・・・


●「言葉を語れ 美のように 戦士のように」




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革命・芸術 末尾ルコ

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年7月31日 [愛の景色]

映画的であるということ
映画的であるべきであるということ

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年7月31日 [愛の景色]

映画的であるということ
映画的であるべきだということ

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記128日目~入院生活が「人間の生活の根源」であるという感覚。~ブリューゲルの雪の絵、『ルートヴィヒ』のヘルムート・バーガーとロミー・シュナイダー。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記128日目~入院生活が「人間の生活の根源」であるという感覚。~ブリューゲルの雪の絵、『ルートヴィヒ』のヘルムート・バーガーとロミー・シュナイダー。

末尾ルコ「母の話、映画と絵画の話題」

7月25日(木)手術後128日目
転院92日目

母の付き添いを始めてからもう2カ月ほどになるのだが、病室での生活を続けていて、何と言うのだろうか、ある意味「人間の生活の根源」というものを感じるような気もしている昨今である。
母の精神面も付き添いを始める以前、付き添いを始めた直後と比べると随分落ち着いてきた。
25日の時点で、まあまだ少しお通じの調子は波はあるものの、回復の方向に進んでいるとは思う。
入院生活を「人間の生活の根源」などと感じられるのも、母の状態が全体的に落ち着き、回復してきているからだとは分かっているが、だからこそ感じ取れる部分があるという意味で、母もわたしも人生の中で実に特別な経験をしているのだと思う。
そうした視点に立ってのお話も今後はしていきたい。
もちろん母の状態が望まぬ方向へ行ってしまい、それどころではなくなる可能性もまだまだあるけれど、そうならないようにできる限りのことをやっていきながら。

7月24日だったか、リハビリを行うスペースの窓の網戸に大きなカミキリムシが留まっていた。
いつも書いているが、カミキリムシはお気に入りの昆虫の一種である。
わたしの昆虫の好みはほとんどがその形態に対する好みであって、益虫であるとか害虫であるとかは子どもの頃は知っていたけれど、概ね忘れた。
けれど今、たまにはじいっと虫を見つめてみたい気分にもなっている。


・・・

「映画的であるということ
映画的であるべきであるということ」

ピーテル・ブリューゲルの作品の中で、「雪の中の人物」が描かれているものがいくつとなくあるが、最も知られた絵は「雪中の狩人」だろう。
高台から町を見下ろす狩人たちを描いたこの作品は一度観たら忘れられない構図と色彩を持っている。
色彩と言っても雪の白と狩人、彼らに付き添う犬たちのシルエットに近い黒、つまり白と黒が圧倒的に支配する画面なのだが、ブリューゲル、凡人にはとても叶わない作品を成立させている。

他の「雪の中の人物」を描いたブリューゲルの作品は、「鳥の罠のある冬の風景」
さらに聖書のエピソードを題材とした、
「幼児虐殺」「ベツレヘムの人口調査」「雪中の東方三賢王の礼拝」といった絵がある。

『網走番外地 大雪原の対決』を観ている時に想起したのは「雪中の狩人」なのであるが、南国土佐育ちのわたしにとって雪景色は大きな憧れであり続けている。
憧れであり続けていながらいまだ北陸、東北、北海道へ行った経験がないのには我ながら呆れざるを得ないし、雪国生活の現実的な厳しさについては、実感を伴ったものではないにしても、理解はしているつもりだ。
そうしたことを踏まえても、子どもの頃に憧れた雪国のかまくらやなまはげといった文化のよきイメージは忘れ難い。

『網走番外地』シリーズの映画的な観応えの大きな部分は雪原での撮影による。
雪原の中での馬の失踪とか、昨今の日本映画ではなかなかお目にかかれない贅沢なシーンだ。

映画の中の雪のシーンとして真っ先に頭に浮かぶのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ』。
雪降る中で見つめ合うルートヴィヒ2世と王日エリザベート。
演じるはもちろんヘルムート・バーガーとロミー・シュナイダー。
あの時代のヘルムート・バーガーとロミー・シュナイダーをルートヴィヒ2世と王日エリザベートとしてフィルムに定着させたということ自体、20世紀の奇跡の一つに数えても大袈裟ではない。


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