●末尾ルコ選定 イザベル・アジャニー出演映画トップ10。 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ選定 イザベル・アジャニー出演映画トップ10。
1『アデルの恋の物語』
2『ノスフェラトゥ』
3『テナント/恐怖を借りた男』
4『ブロンテ姉妹』
5『王妃マルゴ』
6『殺意の夏』
7『ザ・ドライバー』
8『ポゼッション』
9『カミーユ・クローデル』
10『可愛いだけじゃダメかしら』
1『アデルの恋の物語』
2『ノスフェラトゥ』
3『テナント/恐怖を借りた男』
4『ブロンテ姉妹』
5『王妃マルゴ』
6『殺意の夏』
7『ザ・ドライバー』
8『ポゼッション』
9『カミーユ・クローデル』
10『可愛いだけじゃダメかしら』
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記186日目~9月20日の「話し合い」で退院後の受診日などを相談、参加者は? [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記186日目~9月20日の「話し合い」で退院後の受診日などを相談、参加者は?
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
9月21日(土)手術後186日目
転院150日目
9月20日午前11時からは「話し合い」という時間が持たれた。
退院直後の生活をスムーズに始めるための様々な確認という内容だった。
参加者は、担当の医師、看護師、理学療法士、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、デイサービス施設の理学療法士、介護用具販売、レンタル会社の人、そして母とわたしである。
ちなみにA病院ではこうした「面談」や「話し合い」にはPCで(おそらく)会の内容を記録する人が背後に同席している。
今回の「話し合い」ではまず退院後の受診日が決められた。
合わせて4科の受診が必要であり、それは高知赤十字病院の心臓外科、A病院の内科、整形外科、脳神経外科である。
入院前なら、(こんなに多くの受診があるんじゃ・・・)と辟易しただろうが、現在は日程などに関してまったく苦にならない。
もちろん毎回の受診、それに伴う検査で、(どんな検査結果が出て何を言われるだろう)という点は常に大いなる緊張感を持たねばならないが、受診へ行くことの時間的拘束感に対する苦痛はまったくなくなった。
何カ月も泊まり込みで入院生活の付き添いをした身には、最早「病院は日常生活」の感覚である。
そして新たに週2回通う予定のデイサービス施設の理学療法士に対して、A病院の理学療法士、看護師が母の入院経過や現状を説明。
「歌が好きで、いつも歌ってくれる」と言ってくれたのは有難かった。
「母自慢」と思われては困るけれど、客観的事実だから書かせていただくが、と言うか前にも少し書いているけれど、現病棟ではけっこうな人気者になっている。
「なぜ人気者か」「どうして人気者になったのか」についても機会があったら書くけれど、何よりも心身コンディションを高めてくださった理学療法士、作業療法士、看護師、そして医師の方々に最大限の感謝を捧げたい。
転倒を繰り返し大転子部不全骨折に見舞われた時期には同病院のスタッフに対して極めて感情的なことを書いていたけれど、全体としてはとてもよくしてくださっていることも付き添いを続けている内によく分かった。
そうしたことも今後書いていく機会があるだろうが、以前わたしが書いた「感情的な言葉」も、一般的に患者家族が治療過程で抱く感情の表出なのであって、それはそれで書いた意味もあったと思うし、医療側の方々、患者側の方々にとっても、読んでいただくと一種のケーススタディとしての価値も見出せるのではないかと僭越ながら思っている。
まあわたしが書いた「感情的な言葉」については時間にもう少し余裕ができた折に読み直して検討し、注釈など付けるなり何なりさせていただこうと考えている。
まあまだ退院できているわけではないので、警戒を緩めることなく日々を送って行きたい。
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
9月21日(土)手術後186日目
転院150日目
9月20日午前11時からは「話し合い」という時間が持たれた。
退院直後の生活をスムーズに始めるための様々な確認という内容だった。
参加者は、担当の医師、看護師、理学療法士、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、デイサービス施設の理学療法士、介護用具販売、レンタル会社の人、そして母とわたしである。
ちなみにA病院ではこうした「面談」や「話し合い」にはPCで(おそらく)会の内容を記録する人が背後に同席している。
今回の「話し合い」ではまず退院後の受診日が決められた。
合わせて4科の受診が必要であり、それは高知赤十字病院の心臓外科、A病院の内科、整形外科、脳神経外科である。
入院前なら、(こんなに多くの受診があるんじゃ・・・)と辟易しただろうが、現在は日程などに関してまったく苦にならない。
もちろん毎回の受診、それに伴う検査で、(どんな検査結果が出て何を言われるだろう)という点は常に大いなる緊張感を持たねばならないが、受診へ行くことの時間的拘束感に対する苦痛はまったくなくなった。
何カ月も泊まり込みで入院生活の付き添いをした身には、最早「病院は日常生活」の感覚である。
そして新たに週2回通う予定のデイサービス施設の理学療法士に対して、A病院の理学療法士、看護師が母の入院経過や現状を説明。
「歌が好きで、いつも歌ってくれる」と言ってくれたのは有難かった。
「母自慢」と思われては困るけれど、客観的事実だから書かせていただくが、と言うか前にも少し書いているけれど、現病棟ではけっこうな人気者になっている。
「なぜ人気者か」「どうして人気者になったのか」についても機会があったら書くけれど、何よりも心身コンディションを高めてくださった理学療法士、作業療法士、看護師、そして医師の方々に最大限の感謝を捧げたい。
転倒を繰り返し大転子部不全骨折に見舞われた時期には同病院のスタッフに対して極めて感情的なことを書いていたけれど、全体としてはとてもよくしてくださっていることも付き添いを続けている内によく分かった。
そうしたことも今後書いていく機会があるだろうが、以前わたしが書いた「感情的な言葉」も、一般的に患者家族が治療過程で抱く感情の表出なのであって、それはそれで書いた意味もあったと思うし、医療側の方々、患者側の方々にとっても、読んでいただくと一種のケーススタディとしての価値も見出せるのではないかと僭越ながら思っている。
まあわたしが書いた「感情的な言葉」については時間にもう少し余裕ができた折に読み直して検討し、注釈など付けるなり何なりさせていただこうと考えている。
まあまだ退院できているわけではないので、警戒を緩めることなく日々を送って行きたい。