●末尾ルコ選定 ミッキー・ローク出演映画トップ10。 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ選定 ミッキー・ローク出演映画トップ10。
日本でのミッキー・ロークの一般的人気は件のボクシングエキシビションにおける「猫パンチ」で失墜した。
しかしそんな興業が成立するほど日本でも浸透していたわけだ。
1『エンゼル・ハート』
2『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』
3『レスラー』
4『死にゆく者への祈り』
5『ナインハーフ』
6『ドミノ』
7『フランチェスコ』
8『ジョニー・ハンサム』
9『ホームボーイ』
10『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』
日本でのミッキー・ロークの一般的人気は件のボクシングエキシビションにおける「猫パンチ」で失墜した。
しかしそんな興業が成立するほど日本でも浸透していたわけだ。
1『エンゼル・ハート』
2『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』
3『レスラー』
4『死にゆく者への祈り』
5『ナインハーフ』
6『ドミノ』
7『フランチェスコ』
8『ジョニー・ハンサム』
9『ホームボーイ』
10『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』
極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年10月3日 [愛の景色]
2019-10-03 14:00
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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌2日目。~「退院するのが寂しい」と言い出した母、その理由は「入院期間も充実した時間を」の実践。 [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌2日目。~「退院するのが寂しい」と言い出した母、その理由は「入院期間も充実した時間を」の実践。
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
10月1日(火)手術後196日目
退院後2日目
退院前の一週間くらい、母はしょっちゅう泣いていた。
半年ぶりの退院が嬉しくて?
それは陶然そうだけれど、それ以上に、
「退院するのが寂しい」
と言い出し、しばしば涙ぐむようになったのである。
「退院するのが寂しい」
実はこれは母がリハビリ病棟へ復帰する以前からわたしが目標にしていたある意味境地なのです。
もちろん退院直前に寂しがり過ぎて体調を崩されては困るけれど、そうならない程度に入院生活を(もっと続けたい)と思えるような入院生活・・・これが少なくとも大腿骨転子部骨折後に付き添いを始め、ベッド上安静が解除され、車椅子移乗可能になったくらいの時期からずっとわたしは目標にしていました。
もちろんベッド上安静の期間はそれどころではなかった。
寝たきりリスクは高かったし、母の精神状態も荒れに荒れていた。
3月以来半年以上に渡る入院生活で最も苦しかったのはそりゃあ心臓(冠動脈)バイパス手術前後です。
あの時期は生か死か、どちら側に転んでもおかしくなかった。
闘病している母は言うまでもなく、わたしも地獄のような苦しみを味わった。
しかしその時期を抜けた後、転倒を繰り返し、遂には大腿骨転子部骨折となり、わたしが付き添いを決意してからのおよそ一カ月の苦しさは別の意味でとてつもないものだった。
つまり、ベッド上安静で毎日何もすることもできない母に付き添い、わたしに何ができるかという苦悩だ。
その時期はリハビリも毎日20分×2回であっという間に終わる。
車椅子移乗さえ不可能だから病室を出ることはおろか、毎日24時間ベッド上で上半身を多少持ち上げる以外はずっと同じ姿勢で過ごさねばならない。
何度となくお話したように母は本を読む習慣がなく、ベッドの角度の問題でテレビを観るのも難しい状況だった(そもそもテレビ点けっ放しでは、1000円札がどんどん飛んでいく)。
これまた何度となくお伝えしているけれど、ベッド位置の関係で窓の外さえ見ることが叶わず、毎日見えるのは壁と天井ばかり。
長期入院の高齢者の認知能力が落ちることしばしばなのはよく知られているが、確かにこのまま放置しておれば、どんどん認知能力は落ちていくだろうという危機感はあった。
そのような状態の中、わたしは頭を捻り、いろいろと工夫したけれど、それらはまたいすれ整理してお話する機会もあるだろう。
そしてそうした状況の中、徐々にわたしは、退院を目指すのは当然だけれど、それ以前に「入院期間もできる限り充実したものとしよう」と考えるに至り、実践してきたというわけなのです。
「退院するのが寂しい」と母が言いだしたのは、転院時からずっと続いたリハビリスタッフの素晴らしいご努力、そして再度リハビリ病棟へ来てからの医師、看護師、介護福祉士らの心の籠ったご努力の賜物であるのはもちろんのこと、(自分で言ってしまいますが)付き添いを始めてからわたしがずっと考え、様々な形で実践してきた「入院期間も充実した時間を」という方向性が実現したのだと思っている。(わたしがどのようなことをしてきたかという内容も今後お伝えしていきます)
そうしたことで母にとってもわたしにとっても、結果として「とてつもなく苦しく、しかし素晴らしい時間」となったA病院とのお付き合いは今後も続けていくとして、退院直後に転倒や体調不良となってしまう方々も多いとよく言われます。
退院後の滑り出し、より気を引き締めて行きます。
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
10月1日(火)手術後196日目
退院後2日目
退院前の一週間くらい、母はしょっちゅう泣いていた。
半年ぶりの退院が嬉しくて?
それは陶然そうだけれど、それ以上に、
「退院するのが寂しい」
と言い出し、しばしば涙ぐむようになったのである。
「退院するのが寂しい」
実はこれは母がリハビリ病棟へ復帰する以前からわたしが目標にしていたある意味境地なのです。
もちろん退院直前に寂しがり過ぎて体調を崩されては困るけれど、そうならない程度に入院生活を(もっと続けたい)と思えるような入院生活・・・これが少なくとも大腿骨転子部骨折後に付き添いを始め、ベッド上安静が解除され、車椅子移乗可能になったくらいの時期からずっとわたしは目標にしていました。
もちろんベッド上安静の期間はそれどころではなかった。
寝たきりリスクは高かったし、母の精神状態も荒れに荒れていた。
3月以来半年以上に渡る入院生活で最も苦しかったのはそりゃあ心臓(冠動脈)バイパス手術前後です。
あの時期は生か死か、どちら側に転んでもおかしくなかった。
闘病している母は言うまでもなく、わたしも地獄のような苦しみを味わった。
しかしその時期を抜けた後、転倒を繰り返し、遂には大腿骨転子部骨折となり、わたしが付き添いを決意してからのおよそ一カ月の苦しさは別の意味でとてつもないものだった。
つまり、ベッド上安静で毎日何もすることもできない母に付き添い、わたしに何ができるかという苦悩だ。
その時期はリハビリも毎日20分×2回であっという間に終わる。
車椅子移乗さえ不可能だから病室を出ることはおろか、毎日24時間ベッド上で上半身を多少持ち上げる以外はずっと同じ姿勢で過ごさねばならない。
何度となくお話したように母は本を読む習慣がなく、ベッドの角度の問題でテレビを観るのも難しい状況だった(そもそもテレビ点けっ放しでは、1000円札がどんどん飛んでいく)。
これまた何度となくお伝えしているけれど、ベッド位置の関係で窓の外さえ見ることが叶わず、毎日見えるのは壁と天井ばかり。
長期入院の高齢者の認知能力が落ちることしばしばなのはよく知られているが、確かにこのまま放置しておれば、どんどん認知能力は落ちていくだろうという危機感はあった。
そのような状態の中、わたしは頭を捻り、いろいろと工夫したけれど、それらはまたいすれ整理してお話する機会もあるだろう。
そしてそうした状況の中、徐々にわたしは、退院を目指すのは当然だけれど、それ以前に「入院期間もできる限り充実したものとしよう」と考えるに至り、実践してきたというわけなのです。
「退院するのが寂しい」と母が言いだしたのは、転院時からずっと続いたリハビリスタッフの素晴らしいご努力、そして再度リハビリ病棟へ来てからの医師、看護師、介護福祉士らの心の籠ったご努力の賜物であるのはもちろんのこと、(自分で言ってしまいますが)付き添いを始めてからわたしがずっと考え、様々な形で実践してきた「入院期間も充実した時間を」という方向性が実現したのだと思っている。(わたしがどのようなことをしてきたかという内容も今後お伝えしていきます)
そうしたことで母にとってもわたしにとっても、結果として「とてつもなく苦しく、しかし素晴らしい時間」となったA病院とのお付き合いは今後も続けていくとして、退院直後に転倒や体調不良となってしまう方々も多いとよく言われます。
退院後の滑り出し、より気を引き締めて行きます。