●末尾ルコお薦め映画『ロープ 戦場の生命線』 [「言葉」による革命]
●末尾ルコお薦め映画『ロープ 戦場の生命線』
『ロープ 戦場の生命線』という映画がなかなかおもしろくて、脚本・監督はフェルナンド・レオン・デ・アラノアで、出演がベニチオ・デル・トロ、オルガ・キュリレンコ、ティム・ロビンス、メラニー・ティエリーと大好物の方々である。
舞台はユーゴスラビア紛争停戦直後の「バルカン半島のどこか」という設定だが、ロケがまた素晴らしく、断崖の道々を通らざるを得ない車が戦争や人生の退路を断たれている感覚を呼び覚ましてくれるだけでなく、スペクタクルとしても観応え抜群だ。
『ロープ 戦場の生命線』という映画がなかなかおもしろくて、脚本・監督はフェルナンド・レオン・デ・アラノアで、出演がベニチオ・デル・トロ、オルガ・キュリレンコ、ティム・ロビンス、メラニー・ティエリーと大好物の方々である。
舞台はユーゴスラビア紛争停戦直後の「バルカン半島のどこか」という設定だが、ロケがまた素晴らしく、断崖の道々を通らざるを得ない車が戦争や人生の退路を断たれている感覚を呼び覚ましてくれるだけでなく、スペクタクルとしても観応え抜群だ。
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌16日~「大爆発」についてお互いに素直に謝り、その結果としての良き面、「人間としてのプライド」について考える。 [「言葉」による革命]
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌16日~「大爆発」についてお互いに素直に謝り、その結果としての良き面、「人間としてのプライド」について考える。
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
10月16日(水)手術後211日目
退院後17日目
10月13日の母の「大爆発」、母子大喧嘩について、翌日も母は「昨日は本当にごめんよ」と度々行った。
確かに「大爆発時」の母の怒り具合やその時に発した言葉などはかなりいただけない、ここに書けないようなものもあった(ので、書いていない 笑)。
世の中ブログ記事に書かれてあることがすべてだと思ってしまう人も稀に存在するけれど、当然ながらそんなことあり得ないのである。
「大爆発」時は母だけでなく、最初は冷静に対応していたわたしも「爆発」してしまい、その際の言葉などはここには書けない(書かない)。
ただ、結果的には今の時期に「大爆発」してくれてよかったと思っている。
退院直後のペース配分が分からずに、ただただ「安全」のみに思いが偏り過ぎていた自分自身の言動を率直に反省することができたから。
だからわたしは、「もう謝らんでえいき。ぼくこそ反省することがいっぱいあったき(←土佐弁)」と母に謝った。
こんなことを書くとまた、(綺麗ごとを言いやがって!)なんてひねくれた感想を持つ人もぞんざいするけれど、無視しましょう。
素直に反省する・・・だけでなく、反省した気持ちを素直に相手に伝えることも大切だと思います。
もちろんいまだ家庭生活、(怖いなあ)と感じるシーンには多々出くわす。
とにかく有難いことに母の動きはどんどんよくなっているし、体力も付いてきているように見える。
それだけに、(もっと動きたい、もっといろいろしてみたい)という雰囲気も日に日に強くなっている。
気力ややる気が無くなると人間厳しい状況になるのはもちろんのことで、母の現在の精神状況は非常に好ましいけれど、ふと無頓着に立って動こうとする場面が1日に1~2度はある。
自発的に立って動いても「かなり大丈夫」なのだが、「ほとんど大丈夫」というレベルではまだない。
わたしとしては、「ほとんど大丈夫」から「極めて高い確率で大丈夫」な境地を目指してもらいつつ、現状の「かなり大丈夫」の中でも精神的満足を得られる時間を作っていかねばと思っている。
もう一つ母の「大爆発」について付け加えれば、「自分の思うような生活ができていないストレス」をそれだけ強く感じるということは、何よりも「一人の生活者としてのプライド」を取り戻しているという、とてもいい精神状態でもあると言える。
なにせ入院後大部分の期間はそうした「一人の生活者としてのプライド」など忘れ去っていたのだから、精神的には大きな変化である。
(これは決して「生活者としてのプライド」を喪失した状況の方々を下に見ているわけではありません。人間だれしもそんな精神状態になってしまうことがあるのです)
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
10月16日(水)手術後211日目
退院後17日目
10月13日の母の「大爆発」、母子大喧嘩について、翌日も母は「昨日は本当にごめんよ」と度々行った。
確かに「大爆発時」の母の怒り具合やその時に発した言葉などはかなりいただけない、ここに書けないようなものもあった(ので、書いていない 笑)。
世の中ブログ記事に書かれてあることがすべてだと思ってしまう人も稀に存在するけれど、当然ながらそんなことあり得ないのである。
「大爆発」時は母だけでなく、最初は冷静に対応していたわたしも「爆発」してしまい、その際の言葉などはここには書けない(書かない)。
ただ、結果的には今の時期に「大爆発」してくれてよかったと思っている。
退院直後のペース配分が分からずに、ただただ「安全」のみに思いが偏り過ぎていた自分自身の言動を率直に反省することができたから。
だからわたしは、「もう謝らんでえいき。ぼくこそ反省することがいっぱいあったき(←土佐弁)」と母に謝った。
こんなことを書くとまた、(綺麗ごとを言いやがって!)なんてひねくれた感想を持つ人もぞんざいするけれど、無視しましょう。
素直に反省する・・・だけでなく、反省した気持ちを素直に相手に伝えることも大切だと思います。
もちろんいまだ家庭生活、(怖いなあ)と感じるシーンには多々出くわす。
とにかく有難いことに母の動きはどんどんよくなっているし、体力も付いてきているように見える。
それだけに、(もっと動きたい、もっといろいろしてみたい)という雰囲気も日に日に強くなっている。
気力ややる気が無くなると人間厳しい状況になるのはもちろんのことで、母の現在の精神状況は非常に好ましいけれど、ふと無頓着に立って動こうとする場面が1日に1~2度はある。
自発的に立って動いても「かなり大丈夫」なのだが、「ほとんど大丈夫」というレベルではまだない。
わたしとしては、「ほとんど大丈夫」から「極めて高い確率で大丈夫」な境地を目指してもらいつつ、現状の「かなり大丈夫」の中でも精神的満足を得られる時間を作っていかねばと思っている。
もう一つ母の「大爆発」について付け加えれば、「自分の思うような生活ができていないストレス」をそれだけ強く感じるということは、何よりも「一人の生活者としてのプライド」を取り戻しているという、とてもいい精神状態でもあると言える。
なにせ入院後大部分の期間はそうした「一人の生活者としてのプライド」など忘れ去っていたのだから、精神的には大きな変化である。
(これは決して「生活者としてのプライド」を喪失した状況の方々を下に見ているわけではありません。人間だれしもそんな精神状態になってしまうことがあるのです)