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●末尾ルコ フラグメント「猫、ケイト・ブッシュ」篇。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ フラグメント「猫、ケイト・ブッシュ」篇。

「猫、ケイト・ブッシュ」

ケイト・ブッシュ
いつだってケイト・ブッシュであって
ケイト・ブッシュとして変わることがない

ケイト・ブッシュが
ケイト・ブッシュであり続けること

これは
そもそもケイト・ブッシュが
ケイト・ブッシュである
という前提がなければ
ありえないことで、

「AがAである」という前提は、
人間にとって
簡単ではないのですよ。

・・・・・・

言うまでもなく、
ぼくの素敵なネコは
いつだって
ぼくの素敵なネコなのさ!

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●末尾ルコ かつて語った、三島由紀夫「作家論」から「批評論」となり、そして淀川長治・横尾忠則の、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」へ行く必然。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ かつて語った、三島由紀夫「作家論」から「批評論」となり、そして淀川長治・横尾忠則の、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」へ行く必然。

・わたしが三島由紀夫「作家論」を読んで、即刻内田百閒を読みたくなった、というお話は書きました。
文学に限らず芸術批評・評論の役割についてはそれこそ千差万別の「論」がありますが、「批評を読むと作品を読みたくなる」というのは理想的な形の一つです。
もちろん「批評」の中には「批判」も含まれるわけで、「批評を読んだから、作品を読まなくてもいいと決めた」という場合もあり得ます。
しかしそれはそれで仕方ない。
一つ押さえておくべきことは、「批評が正しいとは限らない」ということ。
いや、「ある人の批評は、その人の意見でしかない」と覚えておけばいいかもしれない。
ただ、「より信頼性の高い批評」と言うものは存在するわけで、映画を真摯に研究しているベテランの批評家と「ユーザーレヴュー」を同列に見てはいけません。
例えばかつて作曲家の武満徹は「信頼している映画評論家」として、蓮實重彦、山田宏一、そして淀川長治を躊躇なく挙げた。
正しく歴史的名著「映画千一夜」の三人ではないか!
淀川長治は様々な分野で「超一流」と認識されている人たちと多くの対談を残しています。
どんな分野の「超一流」であろうが、淀川長治にかかれば手玉に取られ、そして「淀川長治に手玉に取られる」ことを心底悦んでいる。
そう言えば2015年「プライムニュース」出演時に当ブログでも話題として取り上げた横尾忠則も淀川長治との対談本、「淀川さんと横尾さん 二人でヨの字」で手玉に取られまくっている。
もちろん二人とも、「お互いに最高度の敬意を持って」、手玉に取り、取られているのですよ。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年9月9日 [愛の景色]

直感的にある花にたとえた
あなたについて
啓示的に

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌336日目~「話をしない(おそらく)カップル」・・・もっと会話を、特に「人生に関する話題」を! [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、会話について」

9月3日(金)手術後527日目 退院後336日目

8月26日、カプリチョーザでわたしたちの隣のテーブルに座った若い「カップルらしき男女」についての続きです。
見たところ20代前半くらい、大学生かもしれない、男女とも割合体格よさそうな感じでしたが、向かい合って座っているのに何も喋らないんです。
料理の注文をして待っている間は二人とも無言でスマホをつついている。
料理が来て食べ始めれば話を始めるかなあと思っていたけれど、食べ始めても喋りませんね。
まあわたしたちは件の「カップルらしき男女」が食べ始めて数分で席を立ったからその後は分からない。
喋ったかもしれないし、ずっとこのまんまほとんど喋らずに食事を終了したのかもしれない。
あるいはひょっとしたら、コロナの感染予防のために無言だったのかもしれない、お二人が聾啞の方だったのかもしれない。(可能性は低いでしょうが)
そしてもちろん、人間一人一人生き方、ライフスタイルは違っていて当然、わたしの生き方を誰かに押し付けるつもりは毛頭ない。
という前提ではありますが、それにしたって(喋ることのできる肉体的条件なのであれば)せっかく二人でレストランへ食事に来て、延々「無言」はないよなあと思うんです。
わたしであれば相手が女性ならばもちろん、一緒に食事に来た人と無言で向き合う状態はあり得ない。

ここで家庭であれ友人関係であれ恋人関係であれ、「会話」なしでは本当の意思疎通はできないものです。
そして「愉しい会話、ワクワクするような会話、心躍る会話」など、一度でも経験すれば、その世界をもっともっと味わいたい、ずっとその世界の住人でいたいと心底思うはずです。

「言葉」、そして「会話」はわたしのライフワークですからいつでも適宜お話していますが、ではわたしたちはどんな話題を大切な人たち、あるいは世の中の人たちと会話していくべきか。
話題はいくらでもあります。

例えば、趣味。

大好きな趣味の話題をそれこそ趣味の合う仲間と語り合う時間は、それこそ時間を忘れますね。
人生の中、できるだけ多くそんな時間を創りたい。
できればその「趣味」の中にわたしの言う「3種の神器」、つまり本、映画、音楽を加えてほしいのですね。

そして逃げてはならないのが、

「人生に関する話題」

これ、どうしても逃げちゃう人たちがいるんですね。
わたしの父もそういうタイプでした。

家族間だけでなく、「人生に関する話題」ってなかなかできない人も多いですよね。
でもこれを時に軽やかに、時に踏み込んで深く会話していくことで人生はどんどん深まっていくものです。

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