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●末尾ルコ かつて語った、「悪魔が棲む家666」のアリシア・デブナム=ケアリーが綺麗について! [「言葉」による革命]

●末尾ルコ かつて語った、「悪魔が棲む家666」のアリシア・デブナム=ケアリーが綺麗について!

映画「悪魔が棲む家666」のお話を続けましょう。
原題は「The Devil's Hand 」だから、「悪魔の棲む家」がテーマとしていた「アミティビルの超常現象」を思わせる題ではなく、実際関係ありません。
というわけで、「悪魔が棲む家666」、あらすじをかいつまんでお話しますと、

6月6日に(笑)米ペンシルベニア州ニュー・ベツレヘムで6人の(笑)子どもが生まれた。
6人ぜんぶ女の子。
そして生まれた場所はカルト宗教の共同生活地域だ!
というわけで、「666」と関係ないわけではないんですね、「オーメン」とは関係ないけれど。
で、そのカルト集団の言い伝えで、「最後に生き残ったひとりが悪魔の手先になる」とされていた。
そして次々と惨劇が・・・。

「怖いか、怖くないか」で言えば、ぜんぜん怖くありません。

(そう言えば、「怖い」という感覚は興味深いですね。またじっくり思考してみましょう)

「悪魔が棲む家666」はぜんぜん怖くない。
でも「怖さ」の感覚は人によってかなり違う。
あるいは年齢によってかなり違う。
「悪魔が棲む家666」を鑑賞して「怖い」と感じる方も、そりゃあいるでしょう。
「わたしは」怖くなかった、ということです。
でもおもしろかった。
90分程度の作品。
ホラーでも何でもつまらなかったら20分前後で見当が付きますが、「悪魔が棲む家666」は最後までぐいぐい引っ張られた。
一つの理由は主演のアリシア・デブナム=ケアリーがとても綺麗だったこと。
アリシア・デブナム=ケアリー。
「イントゥ・ザ・ストーム」に出演していたということですが、これこそわたしにはつまらない「モキュメンタリー」でした。
アリシア・デブナム=ケアリーのことは覚えてない、「イントゥ・ザ・ストーム」の中では。
観ていて不愉快になってくるんですね、出演者も多いし。
もちろん映画としての規模は「イントゥ・ザ・ストーム」の方が遥かに上なんですが、そんなこと関係ない。
そして「悪魔が棲む家666」出演者でもう一人、悪役格である「ビーコン長老」に扮したコルム・ミーニイ。
観ていて本当に憎らしくなってくる。
映画初心者ならまだしも、わたしなどはどうしても「俳優」として観るので、「本当に憎らしい」なんてことは滅多にないんです。
でも「ビーコン長老」コルム・ミーニイはよかった、なかなか。
「悪魔が棲む家666」の監督は、クリスチャン・E・クリスチャンセンです。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年9月22日 [愛の景色]

例えばあの
東の空に横たわる
細く優美な三日月を

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌349日目~8月の「歌う会」参加者「5人」のせつなさ。~白いうなじとアンヌ・ブロシェへの言葉。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と美学」

9月15日(水)手術後539日目 退院後348日目

電話をかけてきてくれた「歌う会」のN先生についてですが、母にとっては大切な友人の一人です。
「歌う会」は普通20人程度の人数が集まるのですが、その全員に母が親しみを持っているわけではなく、母はいつもにこやかだけれどその実難しいところもあって、容易に気を許さない性格でもあります。
N先生は母より少し年下ですが、ずっと前から仲良くさせていただいている大切な友人です。
しかしコロナ禍が加速してからはお会いできてない。
今回久々に電話でお話しできたのですが、聴けばその「歌う会」、毎月やっているにはやっているけれど、8月の会には5人しか参加しなかったといいます。
こんなお話を伺うとせつないですね。
「歌う会」に参加してらっしゃる方々の中にはそれが大きな生き甲斐になってる方もいるでしょう。
それなのに「5人」しか参加しなかったとは。
でもそりゃあ理解できます。
わたしの母もまだ参加してないし、メンバー全員高齢者ですから、躊躇して当然でしょう。
ネットのくだらない書き込みの中には、「高齢者は家に籠ってろ!」とか平気で述べる「クサレAHOU」が少なからずいるけれど、とんでもない話です。
ご高齢の方々だからこそ、もっと外へ出て(もちろん家で愉しめる方はそうすればいいけれど)愉しんでほしい。
そう考える人がもっと多くなってほしい。
ただ、コロナの現状がそうさせないのも事実ではありますが。

同時にですね、新聞などを見ていると、カルチャー教室などの多くは再開されていますね。
高知ではカルチャー教室などの参加者の多くは高齢者の方々ですが、どうなのだろうか。
わたしももちろん母にはいろんな催しへ出てもらいたいが、どの時点で何へ参加を決断できるのか、まだ迷いの真っただ中なのです。

・・・

スタバと買い物からの帰り、信号待ちをしている女の人がいて、とても綺麗な白いうなじだった。その人はほっそりと色白で、わたしの脳裏に浮かんだのはやはりアンヌ・ブロシェだ。
「うなじの美」にさほどの価値を置かないだろう欧米映画の中で、どういうわけかひときわ美しかったアンヌ・ブロシェのうなじ。
そう。アンヌ・ブロシェのうなじはいつだって、『白野・ド・ベルジュラック』と『めぐり逢う朝』の中で観ることができる。
と、ここまで書いてわたしは訝る。(本当に俺はアンヌ・ブロシェのうなじを見ているのだろうか。あのコスチュームプレイの衣装を着けたブロシェのうなじがそんなに見えていたのだろうか)と。となればひょっとすると、わたしの心の中だけのアンヌ・ブロシェのうなじ?

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