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猥褻な天使 ナスターシャ・キンスキー 2 [高貴な感覚 エロティシズム]

第2次大戦後の日本人男性にとってのイングリッド・バーグマンがどのような存在だったか。
まさしく仰ぎ見る存在。
生きた天使・聖女を見た・・そんな印象を持ったのではないか。
もちろんこれは当時の日本人男性に限ることではない。
わたしたちが現在、例えば「カサブランカ」をスクリーンで観たとして、その美しさに対する衝撃が変わることはないだろう。
それはもう、息をのむほど美しいのだ。
バーグマンは日本人の美意識に衝撃を与えたと言っても過言ではないだろう。
ナスターシャ・キンスキーが「テス」で映画ファンを唸らせた頃は、すでに日本の社会状況は変わっていた。
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猥褻な天使 ナスターシャ・キンスキー 1 [高貴な感覚 エロティシズム]

ナスターシャ・キンスキーが映画「テス」で有名になった頃、日本では「イングリッド・バーグマンの再来」などという声もあった。
確かに顔立ちはイングリッド・バーグマンと共通点が大いにあったが、その属性は対照的と言ってもいいほどだった。
似ている部分は目の形や、目鼻口のバランスである。
2人とも「完璧」と表現して差し支えないバランスと作りで、「アップに耐える」どころか「ずっと観ていたい」とまで思わせる問答無用の美貌である。
イングリッド・バーグマンが第2次大戦後の日本人男性に大きな衝撃を与えたのは有名な話。
もちろんわたしはリアルタイムではないが、当時を知る人たちの文章や証言からもそれがよくわかる。
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エロスと死とグロテスク「哀しみのトリスターナ」のカトリーヌ・ドヌーブ 4 [高貴な感覚 エロティシズム]

カトリーヌ・ドヌーブは大きくない。

大きな女性に感じるエロスもあるし、小さな女性に感じるエロスもある。
筋肉質の男性に感じるエロスもあるし、痩せた男性に感じるエロスもある。
太った女性に感じるエロス、年取った男性に感じるエロス・・エロスの感じ方は万華鏡のように多彩だ。
一人の人間が「わたしはこんな人をエロティックだと感じる」と思っていても、あるとき急に正反対の人間をエロティックだと感じるときもある。
エロティシズム、エロスを固定することはできないし、「自分はこうだ」という観念に裏切られることもある。

「哀しみのトリスターナ」の中、カトリーヌ・ドヌーブが大きくないということは、実に大きくエロティシズムに貢献していた。

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エロスと死とグロテスク「哀しみのトリスターナ」のカトリーヌ・ドヌーブ 3 [高貴な感覚 エロティシズム]

この作品の中でカトリーヌ・ドヌーブは特別に肌を見せるわけでも、男と絡み合うわけでも、深いキスをするわけでもない、少なくともスクリーンの中では。
しかしスクリーンの外では養父との望まぬ関係を続ける。
スクリーンの外というのは、ストーリー上「そうなっている」と示唆されるが、スクリーンで「そんなシーン」はまったく出てこないということだ。
ヘタをすれば「退屈」「手抜き」ととられかねない表現方法だが、ブニュエルにより巧みに練られた状況設定や衣装、カメラなどの効果により、「示唆」されるだけで観客は十分想像力・脳髄を刺激されることになる。
もちろんドヌーブという不世出の屈折した美とエロスを持った女優がいることが大前提だ。
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「ディア・ドクター」井川遥の好ましい色気 [高貴な感覚 エロティシズム]

井川遥は以前NHKのフランス語講座に出ていた。
その後「癒し系」などと言われてプチブレイクしたが、それだけの取るに足りないタレントだと思っていた。
ところが井川遥、安易にバラエティに出ずに地道に女優を続ける。
なかなかいいなと思い始めたのが2年くらい前か。
わたしは地道に続ける人たちは好きである。

そこで「ディア・ドクター」の井川遥だ。
1976年生まれの井川遥が非常に美しいのである。
20代は肌に張りがありすぎるきらいがあったが、そして今も十分肌に張りはあるが、柔らかさが出てきた。
縁側で眠る姿の色気、髪の毛の美しさ。
これからの井川遥はエロティシズムを表現できるし、そのような作品に巡り合わないともったいない。
そして井川遥の美しさも、テレビの画面ではほとんど再現できない種類のものなのだ。
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エロスと死とグロテスク「哀しみのトリスターナ」のカトリーヌ・ドヌーブ 2 [高貴な感覚 エロティシズム]

「哀しみのトリスターナ」の中でカトリーヌ・ドヌーブは黒ずくめの服装で現れる。
漆黒がドヌーブのややパールピンクを帯びた白色の肌を空間の中によりはっきりと浮かび上がらせる。
黒と白の対比は当然のように「生」と「死」の対比を強く意識させるが、ドヌーブの肌の白さはより「死」の香りが深く漂う。

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「メゾン・ド・ヒミコ」に見る、キスの不思議 2 [高貴な感覚 エロティシズム]

主演女優柴咲コウを相手にキスするのは2人。
オダギリジョーと西島秀俊。
2人とも色気たっぷりのトップ映画俳優だ。(そう思わない人もいるでしょうが)
この2人の両方と一つの作品の中でキスシーンがあるとは、「よっ、果報者!」と声をかけたくなる人も多いだろう。
それはさて置き・・。
柴咲コウと両俳優のキスシーン。
それはどちらも唇の先をギューギュー圧しつけるだけで、それ以上には進まないのだ。
3人とも中学生ではない。大人だ。
しかもギューギュー圧しつける時間がけっこう長い。
こうなると「キスシーン」というよりも、「唇圧迫シーン」と呼びたくなる。

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「メゾン・ド・ヒミコ」に見る、キスの不思議 1 [高貴な感覚 エロティシズム]

キスは、ときにセックスそのものよりもエロティックで、ときにもっと強い快感を得ることができるものだ。
ヴィジュアル的にもキスの方がセックスより美しい・・これも大方の人が同意できるだろう。
だから映画でキスシーンというものが重要な位置を占めるのは当然なのだが、意外と印象に残るキスシーンは少ないものだ。
映画作家がキスシーンにどんな意味を持たせるか、それをどう表現するかというのも美意識の見せどころだと思うのだが。

犬堂一心監督の「メゾン・ド・ヒミコ」の中にもけっこう長いキスシーンが出てくるのだが、これには正直やや不思議な印象を持った。

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エロスと死とグロテスク「哀しみのトリスターナ」のカトリーヌ・ドヌーブ 1 [高貴な感覚 エロティシズム]

カトリーヌ・ドヌーブをただ「きれいだ」とか「美しい」とか「おしゃれ」だとか「素敵」だとかいう言葉で語るのはまったく正確ではない。
「きれい」で「美し」く「おしゃれ」で「素敵」なのは間違いないが、そんな表現しか使わないということはカトリーヌ・ドヌーブを矮小化していることに他ならない。

500mLのカップに1Lの、ましてや2L、3Lのミルクを入れてもほとんど零れてしまうだけだ。
つまり器はできるだけ大きくしておかねばならないということ。
こんな単純なことを分からない人が世の中多いものである。

「言葉により、できるだけ正確に、対象に迫ること」・・これはわたしの活動の大きな目標の一つだ。

吉高由里子を「不思議少女」と言ったり、有能な俳優も無能な俳優も十把一絡げに「イケメン」などと言ったりする人たちは1mL程度の器しかないと思われても仕方ない。

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追い詰められる色気、ジョーン・フォンテイン [高貴な感覚 エロティシズム]

「白黒映画は観ない」とか「無声映画は観ない」とか言う人がいるが、もったいないなんてものじゃない。
本当の恐怖や本当の美が白黒映画には充満しているから、観る習慣を少しずつでもつけるべきだ。

主に1940年代に活躍した女優にジョーン・フォンテインがいる。
アカデミー主演女優賞をとったことのある映画史屈指の大女優だが、実は日本的エロティシズムに満ちた女優でもある。
どちらかと言えば小柄で、顔立ちはノーブルで美しいが、ノーブルになりすぎない庶民性も兼ね備えている。
唇は適度な厚さを保ち、快活に笑う顔よりも憂いに満ちた表情が似合う。
思えばこれだけ日本的なハリウッド女優はあまりいない。
例えばイングリッド・バーグマンやグリア・ガーソンが畳の間にいたらかなり不自然だろうが、ジョーン・フォンテインなら違和感なく畳の間にいることができるだろう。

そんなジョーン・フォンテインが心理的に追い詰められるのがヒッチコックの「レベッカ」と「断崖」である。
ヒッチコックは美女を追い詰めるのを得意としたが、ジョーン・フォンテインこそ追い詰められることが真に迫った女優もいない。
つまり彼女は、多くの日本人女優よりも日本的Mの世界を表現できたということだ。

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