「哀しみ」というのは周期的にやって来るのだろうか。
と言うのも、先だってまたわたしの心に「哀しみ」がやって来た。
いや、そもそも「哀しみ」というものは、やって来るのか、生まれるのか、それともいつも心のどこかにいて出てくる機会を待っているのか?
今度「哀しみ」がやってきたら、わたしは少し冷静になって観察してみよう。
そう、わたしの心の「哀しみ」を観察するのだ。