カリスマ性。
カリスマ美容師とかカリスマ店員とかいう「言葉の誤用」の話ではなく、歴史の中に現れた本物のカリスマの話だけれど、例えばリビア情勢に関して「カダフィ大佐のカリスマが薄れた」という解説を耳にしたが、確かにカリスマ性というのは「薄れる」場合がある。
結局それは「その人物の行動やメンタリティ」によるものだという点、非常に興味深い。
それはキューバ革命の両雄を比較すればよく分かる。
リアルタイムで体験したわけではないけれど、キューバ革命時のフィデル・カストロが発したカリスマ性は凄まじいものがあっただろう。
「世界を覆わんばかりのカリスマ性」と表現しても過言ではなかったはずだ。
ところが長期独裁政権維持に汲々とする過程で明らかにカストロのカリスマ性は薄らいで行った。
対してチェ・ゲバラ。
彼のカリスマ性は「永遠性」をさえ帯びて来た。

間違いない。
「生き方」がオーラやカリスマ性の濃淡を左右する。