● 常に修正可能である。

「完璧な理論」などというのは、少なくとも人間や社会を対象とすればあり得るわけがなく、「これは完璧な理論だ」などと喧伝されているものはエライセンセーがお創りになられたものでも信用しない。
ぜんぜんエラくないわたしが創ろうとしている「ルコ美醜悪学」はもちろん最初から「完璧な理論」など目指さない。
しかしそんな「見切り」も「ルコ美醜悪学」的あるいは一般「美学」的でさえあると勝手に思うのは自由だろう。