例えば「気高い」という言葉。
マスメディアの愚劣な新語が毎年流通する世の中で、「気高い」などという言葉はすっかり忘れ去られているようにも見える。
だからこそ敢えて言おう。
「気高い」人間は「気高くない」人間よりも美しい。
(「気高さ」にもバランス感覚は必要だが)

ではどのような人間が気高く、どのような人間が気高くないか。

「長いものにまかれる人間」と「長いものにまかれない人間」。
「他人の気持ちを踏みにじる人間」と「他人の気持ちを思いやることのできる人間」
どちらが気高い人間か。まともな感覚であれば、「長いものにまかれない人間」、「他人の気持ちを思いやることのできる人間」だと簡単に分かるはずだ。