「哀しみ」が現れたら観察してみようと決めて以来。どういうわけか「哀しみ」は現れない。
その代わりちょいちょい「空虚感」なんてのは現れたけれど。
「空虚感」というのも不思議な感覚だ。
取り立てて理由もないのに突然虚しくなったりする。
でもこれは「哀しみ」より扱いやすい気もする。
人間、いや宇宙の全ては、虚しいと思えば虚しいし、素晴らしいと思えば素晴らしいのだ。
生れてきたのだから素晴らしいと思うしかないじゃないか。
とまあ、そんな感じを持ちながら、ふと気付いたときには伊勢丹新宿店の地下にいたわけである。
少し前あれだけ「哀しみ」を感じた伊勢丹新宿店の地下なのに、この日はまったく「哀しみ」を感じない。
それどころか洪水のように居並ぶケーキ、マカロン、クッキー、フィナンシェ、キャラメル、チーズ、ワイン、蜂蜜、キッシュ、弁当、シチュー、おかき、カリントウに大福もちなどを見ながら、(金と暇が有り余っていたら、ここにあるのを一つずつ全部食べてみたいなあ)などと考えるバカ(おれ)がいたのだから人間の感情は分からない。
次に伊勢丹新宿店の地下にいるときに感情はどう動くのだろう。