「司会者」の中にも素晴らしい人はいる。
それは分かっている。
分かってはいるけれど、「どうしようもない」司会者が多いのも事実だ、日本に。

例えば去年暮れ、日本レコード大賞の司会を堺正章や藤原紀香が務めていたのだが、チラ見しながら思った。

●この人たち、賞候補者のアルバムをちゃんと聴いているのか?

あるいは、現在関根勉に交代したけれど、長い間関口宏が務めていた日本アカデミー賞の司会。

●どう見ても、候補作品を全部は(あるいはほとんど)観ていないだろうな。

という印象が強かった。

しかしこれは確証あっての話ではない。
ただもし「全部聴いている」「全部観ている」というのであれば、いったいどうして「作品の内容」についての話で盛り上がらないのか、という疑問は大いにある。

この二人だけの問題ではない。
一回司会をやるだけで真っ当に働いている人たちの何カ月分(もっと?)も稼いでいる人間がゴロゴロ転がっている。
それでも、どう考えても「素晴らしい司会ぶり」なら文句は言わない。
しかし多くの「司会者」がワンパターンのくだらないトークで貴重な時間を「ゴミ」にしているのだ。

「司会者問題」は継続していく」追及していくが、ぜひ「あぶく銭」を稼いでいる人間たちに厳しい目を持ってほしい。

身を削って働いても収入が上がらない人間 が多い昨今。
あぶく銭を稼いでいてはいけませんや。