つまりこういうことだ。

学者同士でしか通じない言語での「お話」。
アーティスト同士でしか通じない言語での「お話」。
あるいは「お話」だけご立派で、本人の言動や雰囲気はまったく「冴えない」(この「冴えない」という言葉にはいろんなケースが含まれる)人たち。

まあ他にもいるが、
「社会」を「よくする」ためにはほとんど(まったくではなかろうが 笑)役に立っていないと見る。

彼らの話は「閉じた世界」の中だけにと留まり、「本当に変わらねばならない層」には一切届いていない。
そして彼らの中の多くが持つ「佇まいの貧しさ」や「貧困な口語」が大いに説得力を減殺している。