人間が幸福か不幸かなんて、他人の目から分かるものではない。
「本人」に幸福感さえあれば、どんな状況でもそれは「幸福」であるのに間違いないだろう。
「あいつは不幸だ」なんて単純に悦に入っている人間は、実は彼らの貧しい世界観に照らし合わせて、「自分は幸福で、あいつらは不幸だ」と思いたがっているだけ、という場合が多いのだ。
だからわたしは、軽々に「~は不幸だ」「~は可哀相だ」などと思わないようにしている。
ただある時ふと感じたのだ、「勝間和代って幸福なのだろうか?」と言う疑問を。