あるいはエデイット・ピアフの生涯を見ていると、「受難の聖女」という言葉も浮かんで来る。
理不尽な受難に見舞われたからこそ聖別される聖女。
測ったように訪れる幸福と不幸。
ピアフの存在が強烈な光を放つだけに、一心同体とばかりつきまとう不幸の濃さは常人の比ではないように見える。
ピアフにとって、テオファニス・ランボウカスの存在は幸福だったのか、不幸だったのか。