ジーザス・クライスト、つまりイエス・キリスト、真のメシアに違いない、彼は。この際ジーザスの死後に離合集散、数々の血塗られた闘いを際限なく繰り返し、今もその癖いささか拭いきれない一部か大部分か知らないがカトリックなりプロテスタントなりギリシャ正教なりの歴史については置いておこう。別にぼくはクリスチャン時ないけれどと何度も書いているので「またか」と思うかもしれないけれど、でも知らない人や忘れている人もいるかもしれないから、だいたいこれは大事なことだ。つまり客観的なわけである、なるべく。ジーザス・クライストを本当に見た人は本当にラッキーだったろうな。ジーザス非存在説なんていうのもあるけれど、ここでは置いておく。カリスマという言葉をふつ~の人に平気で使う日本人にジーザスの価値なんか永遠に分からないかもしれないし、分かるかもしれないし、とにかく「本物の言葉」は「宗教」などという枠を超えているんだ。だって新約聖書を見てみなよ。日本語に訳されてたってジーザスの言葉は本物のカリスマだけが持つ光輝で満ちてるじゃないか。