さて、世界フィギュアスケートモスクワ大会ではまったくメダル争いに絡むことなく終わるという屈辱的結果となった浅田真央だが、これからしばらくは週刊誌などで「浅田真央は終わった」などと叩かれることが多くなるだろう。しかしもちろん終わってなどいない。どんなに調子が悪くても重要な大会では驚くべき神通力を発揮してメダル争いを展開して来た浅田真央が今回世界フィギュアの屈辱を経て大きく脱皮しないわけがないではないか。
簡単なことではない。きっと自信も失っている。だからこそ立ち上がりがいがあるというものだ。そしてわたしたちは、苦しみ、のた打ち回りながら新たな美を創り出す浅田真央の感情に寄り添いながら、より尊敬の念を深めて行くだろう。苦しみ、のた打ち回りながら生きていない人間に美など生み出せるわけはないのだから。