バレエファンであれば「バレエ・リュス」という言葉は馴染み深い。
1909年からパリを中心として活動した、ロシア人セルジュ・ディアギレフ率いるバレエ団がバレエ・リュス。
多くの芸術家が参加したバレエ・リュスですが、やはり衝撃的だったのはロシア人バレエダンサーたちだった。
特にヴァーツラフ・ニジンスキーの存在、ダンスはスキャンダルと呼ぶにふさわしく、「舞踊」という枠にとどまらず、20世紀初頭のパリに与えた衝撃は計り知れないとされる。
わたしはバレエ・ファンでもあるため、「ココ・シャネルの星座」の中で最も印象的だったのがセルジュ・ディアギレフのエピソードだ。
しかしシャネルにはすぐにバレエ・リュスの価値が理解できたわけではなかった。
下記のような文章がある。

なぜなら、彼女のおとくいの上流社会は、いつもバレエリュスの話題でもちきりだったからだ。バレエ・リュスこそ最高の芸術であり、最高のファッションだ、と人々は噂していた。ポワレでさえバレエ・リュスのまねだ、といわれていた。だがシャネルはバレエ・リュスがどんなものかを理解できないでいた。

                                「ココ・シャネルの星座」海野弘著より