レイモン・ラディゲを失ったジャン・コクトオ(コクトー)が「死」をも想起させるほどの悲嘆にくれたのはよく知られている。
誰かを喪失することが「死」を意味するほど「愛する」のは幸か不幸か。
しかも悪魔のごとき軽快さを身上とするコクトーが、だ。
とは言え、コクトーはラディゲを失った後も長く生きた。

三島の「ラディゲの死」の中で、コクトーはラディゲを喪失した世界を次のように表現する。

「天の歯車が飛び立ってしまったから、世界という機械はぶざまな動き方をするようになった。」

                      「ラディゲの死」三島由紀夫より