松たか子。
以前はどちらかと言えば意識的に避けてきた。
「どちらかと言えば」というのは穏当に過ぎる表現だ。
完全に避けてきた。
テレビドラマ出演の多い松たか子はわたしの興味の範疇に無く、父親のいささか尊大な今ひとつしっくり来なかった。
しかし時は松たか子を待っていたのだ。
昨年の映画「ヴィヨンの妻」で松たか子の「到来」をわたしも知ったのだが、「告白」ではまさに「飛翔」した。