「哀しみ」という感情をどうとらえるか。
少なくともわたしは「哀しみ」に溺れたりしないような精神を身につけようとしてきたはずなのだ。
けれど「哀しみ」がわたしから無くなったことなど一度もない。
ただ、「哀しみ」に溺れるようなことにはならないくらいの心は育ってきたと思っていた。

それが先だって、伊勢丹新宿の地下であわや「哀しみ」に溺れかけたのはどうしたのだろう。
ひしめきあう菓子売り場、カラフルなチョコ、クッキー、ケーキ、マカロン、キャラメル・・それらを眺めながら歩き、わたしは喩えることが難しい孤独感と「哀しみ」にあわや溺れそうになる。