昨日取り上げた言葉をもう一度。


ただ、宮本武蔵という人自身は、『五輪書』を読めば読むほど、人気スターになるべき性質をまるで欠いた、根っから愛相のない人だったということがよくわかる。そのことはこれから追々お話しなくてはならないでしょう。しかしこれは、彼がつまらない人間だったという意味では少しもありません。つまらないのは、人気スターのほうでしょう。

        「宮本武蔵『五輪書』の哲学」前田英樹 岩波書店

特に「つまらないのは、人気スターのほうでしょう。」という部分を喰らわせてやりたくなる「人気者」ってけっこういるんじゃないでしょうか。
例えば学校名などでもそうだし、特に「テレビ」ってやつではそうだ。
以前よく話題にした福山雅治などは「世に出る出ないというのは、どれだけ世間が求めているかだ」的なことを語っていたが、その「世間」というもののレベルも大いに問題になるでしょう。
成熟した考えや嗜好を持っている世間なのかどうか。
日本の場合は極度な商業主義と相まって、「人気=金が稼げる=善」という公式を単純に信じている人たちも多い。

「人気」とは何か・・さらにじっくり考えてみるべきですね。