自分が当然「美しい」と思っているものが他人には「何でもない」という事態も少なからずあり、「美」とは何かと頭を抱えてしまうのはギリシャ哲学の時代も今も変わりはしない。
例えば荘厳な夕陽を見ても「何も感じない」という人たちに対してわたしたちはどう体したらいいのか。