「トゥルー・グリット」に描かれていた復讐は、呵責なく、しかし明るい。有り余るほど溜めこんでいるはずの情念を外部に露わにすることなく、呵責ない復讐を不細工ながらも実行して行く。イーストウッドの「許されざる者」の復讐はそのクライマックスに於いてあからさまに憎悪を噴出させる。しかしその憎悪は「敵」を相手としたものだけではない。自らの人生に対する憎悪、自らの「業」に対する憎悪。
確かに「許されざる者」ほど「業」を強烈に深く描いた作品はないかもしれない。そして誰しも「業」を抱えてない者などいないのだ。